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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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玻璃の夏 ~狐の嫁入り物騙り~

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 暗い社殿は、まるでそこに〝闇〟が沈殿しているみたく、濃い湿気とカビの匂いで満ちている。僕はその〝闇〟をかき分けながら、覚束ない足取りで音の正体を拾い上げる。
 入ってきた時よりも幾分足早に外に出ると、すぐにそれが何なのかが判明した。
「……狐」
 澱(おり)と共に社殿の床で横たわっていた物──それは木で出来た狐のお面だった。
 全体は薄く乳白色に塗られ、頬や額は桃色に色づき、飛びだした耳や口は鮮やかな紅色で強調されている。張り子のお面とはまさに一線を画した上物。おそらく面打ち師によって丹精込めて彫られた一品なのだろう。埃でくすんでもなお、そこには独特の妖しさが今もはっきりと息づいていた。
 それ故に、僕はこの面を目にした瞬間──思いだした。
 識(し)っていた。僕は、この狐面を、以前にもここでこうして手にしていたのだ。
 あれはそう、ここへ最後に訪れた時のこと、小学四年の十歳の夏だった。

          ………

 ぼくはその夏、お父さんとお母さんと三人で、海に囲まれたおばあちゃん家(ち)に遊びに来ていた。
 来る時にのった電車は、右と左を海にはさまれながら、まるで本当に海の上を走っているようだった。
 久しぶりにあったおじいちゃんとおばあちゃんはとっても優しくて、毎日おいしい魚料理を食べさせてくれる。
 島にきてから何日かたったころ、おばあちゃんがぼくに夏祭りに着ていくためにと、濃い青色の浴衣を着せてくれた。
 海から照り返す夕日をあびながら、お父さんとお母さん、両方の手を握り神社までの道を歩いた。近づくにつれて大きくなる祭りばやしに、気持ちが高鳴っていった。
 左右のはじっこに旗竿が立てられた長い長い石段を上った先の境内は、普段はあまり見ない島のみんなでごった返していた。おじいちゃんおばあちゃんたちみたいなお年寄りから、ぼくくらいの年代の子たちまで、はっぴや浴衣を着て楽しそうにさわいでる。
 ぼくは早く遊びたくて、二人の手を力いっぱい引いて人ごみの中に分け入った。
 射的や水風船、トウモロコシにかき氷。視線をどこに移しても、そこには面白そうなものがあふれていた。
 いつもだったらお菓子だってめったに買ってはくれないお母さんが、この日にかぎっては二つ返事でなんでも買ってくれた。
 でも二人がいっしょにいてくれたのは、たぶん着いてからの三十分くらい。なんかやぶから棒にお父さんの友達だっていう人が話しかけて来たと思ったら、お父さんもお母さんも、それからいくら手を引っぱっても全然動いてくれなかった。
 そしたらお母さんは少し鬱陶しそうに財布を取り出して「これでなんでも好きな物を買って来なさい」と、五百円玉を一枚くれた。
 ぼくは急いで同い年くらいの子たちが集まる型抜き屋へ走った。さすがにお母さんも、さっきはこういった遊びにお金はだしてくれなかった。
 知らない子たちと肩を並べながら、ぼくは滝のような汗を首に感じつつ一心不乱に曲がった針をにぎった。けど、どうもこの抜き型というのは、想像してたのよりはるかに難しい。ちゃんと抜ければ三百円になる、わりかし簡単そうな物でも、気を抜くとパリッと真っ二つ。
「あ~あ、なんだよ、つまんね。もういこ」
 となりの戦友たちが、次々に離れていく。
 ぼくもそんなまわりの空気に流されてか、熱くなっていたものが急速に冷えっていった。
 しぶしぶ立ち上がり屋台から離れると、残ったお金をあらためて計算し直す。
 かなり少なくなっちゃいるが、どうにかかき氷が一つ買えるくらいの金額はあった。
「レモン味ください」
 ジャラジャラジャラって、これでもかってくらい細かいお金をおじさんにわたしてやる。
 一つ一つ小銭を数えるおじさんを尻目に、ぼくはそそくさとお社の階段まで移動する。
 それからシャクシャク紙コップの中の氷をかきまぜ、遠目からお祭りの様子をながめていたら、不意に奇妙な気持ちが降りて来た。
 こんなにも活気づいている景色のはじっこで、自分はなんでこんなに落ちついているのかな、って。そこにはまるで見えない壁があるみたいだった。
 なんだかそれが、少しだけ物悲しくもあった。もしかしたら、こういう気持ちのつみ重ねが、大人になるってことなのか……。
 するといきなり後ろの方で、カタッっていう物音がした。
 どうやら物音はお社の中で鳴ったみたい。気になったぼくは、おそるおそるお社の扉を開けてみた。
扉の中は暗くて、ひんやり湿っぽい空気がたまっている。
なれないゲタでゆっくり気をつけて歩いていると、つま先にコツンと当たる平べったい物を発見した。ひろい上げてみると、それはどうやらキツネのお面のようだった。
扉の格子窓からさすお祭りの明かりで、うすぼんやりとだけどかたちが見て取れる。
外の屋台にもキツネのお面は売られていたけど、なんだかこれは竹格子でかざられているのとはずいぶん様子がちがうみたい。
本物のキツネなんて見たことないけど、もしかしたらこれは本物のキツネの皮をはいで作ったのかもしれない。なぜだかふと、そんなことを思ってしまった。
木で出来てるのに、毛も生えてないのに。
 お面なんて被って喜ぶほどもう子供じゃないはずなのに、ぼくはこのお面を無性に被りたくてしょうがなくなっていた。
 軽く浴衣の袖でほこりを落として、そっと顔に当ててみる。
「…………」
 こんな暗がりじゃ、なにがなんだかよく分からない。ぼくはお面の両はじにあった赤い紐を後ろでくくってお社からでた。
 石ただみをはさんだ屋台の道を歩きながら、ぼくはお父さんお母さんを探した。すると、
「おい、狐がいるぞ」
「やだ! どこから入ったの」
「こんな小さな島の森にもいるんだな」
 まわりの大人たちがぼくの方を見ながら、口々に「キツネ、キツネ」と指をさす。
 最初はぼくもこのキツネのお面をほめられているんだと思って、少し鼻が高かった。でも、すぐにそうじゃないって分かった。だって、ぼくよりも年上の子たちが、旗竿を持っていきなり追っかけて来たんだもの。
 お社にあったお面を勝手に持ちだしたのがばれたのかと思って、ぼくは一目散に屋台裏の木々の中へ飛びこんだ。
「はぁ……、はぁ……」
 一生懸命走ったせいで、あっという間に息が上がってしまった。
 まわりを見わたしてみると、いつの間にか竹やぶにいるのに気づいた。
全然知らない場所だった。
 明かりなんてどこにもなかったけど、大きなお月さまとどっかから飛んで来るホタルのおかげで、ギリギリどこに何があってあぶないのかだけは分かる。
 こんな事になるのなら、お母さんたちのところに逃げるんだった。きっと二人からも怒られるんだろうけど、迷子になるよりずっとマシだった。
 すごく、不安になってきた。
「おかーさん、ねえ、おかーさんってば!」
 知らないうちに、ぼくはお母さんのことを呼びながらベソをかいていた。
とてもこわくて、こわかった。
 そんな時だった。すごい小さいけど、どこか遠くで鳴る太鼓や笛の音が聴こえてきた。
 ──祭りばやしだ!
 この音がしている方へいけば、お父さんとお母さんのところに帰れる。