ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』1
今度はいっしょに食べようね。
儚より』
一昔前に小学生女子の間で流行った丁寧な丸文字で書かれたメッセージが示す通り、テーブルの上には皿に盛られた料理の数々が並んでいた。そのどれもきちんとラップが張られ、けれどそのどれもが熱を失くして冷たくなっている。
料理の他にもコンセントがついたままの炊飯ジャーが、保温モードで粒の立った二合分の白米を温めていた。それだけじゃない。儚が自分で選んで買ってきた木製のペアのスープカップも、箸もスプーンもテーブルナプキンすらも、すべて食卓テーブルで向かい合うようにして配置されている。
「…………」
テーブルにはもう一枚のメモ紙があった。
『今日こそはいつものように残すなよ。その始末をするのは儚なのだからな。
いつも月夜に米の飯、自分がどれだけ恵まれているか少しは自覚をしろ。
もし今度も残していたなら、明日はお前、血を見ることになるぞ』
おそらく真神が書いたであろう書置きは、濃くて太い力強い達筆な筆致だった。
「知るかよ……」
儚の書置きといっしょに丸め、ゴミ箱に放り捨てる。
そうしてテーブルに置かれた皿を手に取りキッチンへ向かう。
眼下には生ゴミを入れる大型のポリバケツが、
「……ふん」
ハッカはそこへ──
† † †
壁に当てた耳の中で、チーンと電子レンジの音が響く。
よかった、今日は食べてくれるんだ。ハッくんは大雑把な味づけが好きだから、洋風のゴハンは正解だったみたい。
けれどそれだとビタミン・食物繊維などの野菜分が摂取しづらく栄養バランスが炭水化物に偏りがちだ。そのため儚はいつも気が抜けない。しかし最近は野菜の風味を消し、かつ主張が強くて味ができあがっているハムやチーズなどの加工食品で塩梅を一つに決めてしまえば、選り好みの激しいハッカでも食べてくれるのを、儚は発見した。
……でも、見栄えがよくなると思って付け合わせてみたパセリは……、もしかしたら真っ先に捨てられてるかもしれない。
ハッカは嫌いな物は眼の届く場所にあることすら許さない。故に毎日ハッカが起きる前の早朝にキッチンのゴミ箱や三角コーナーを覗くたび、儚は憂鬱し、また嬉々とした。
ちなみに隣のハッカの部屋へはベランダからいつも侵入している。いつもどんなにチャイムを鳴らそうがドアを叩こうが、近所迷惑の限りを尽くそうが頑ななまでに自発的に部屋へ上げようとはしないハッカがいじらしいと同時にひどく侘しくもあったが、本人の知らぬところで隠れて出入りし心を尽くすのが、どこか通い妻の趣きを醸し出し儚を満たした。
「……はぁ」
今夜の帰りはいつもよりちょっとだけ早かったけど、やっぱり女の人と逢ってたのかな……。
ベッドの上に膝を立てて壁に耳を貼り付けていた儚は、そっと音を立てないよう静かに離れた。そこから机のパソコンの前に座ってマウスを動かす──と、モニターには寂れたテナントビルの前に座っている少年と、その横に儚と同年代ほどの少女が映し出される。
やっぱり、だった。やっぱりハッくんは女の人と今日も逢ってたんだ。
ハッカがいつも繁華街で何をしているのかどうしても気になって、儚はインヒビターのホームページから街に設置された監視カメラの映像を観る方法を見つけた。しかし儚の持っている普通のファウンデーション市民IDでは、人物の顔にはモザイクがかかり、またカメラの移動範囲、また望遠・拡大機能にはかなりの制限がある。だからカメラに映っているのがハッカで、かつその人物といったいどんな関係にあるのか、儚のあずかり知るところではない。
けれどもこの少女にはわかった。画面に映るのが自身のもっとも、いや、唯一愛してやまない人物だと。しかしその想いは顔に貼られたモザイクを見抜く心眼とは裏腹に、儚自身の眼にあらぬフィルターをかけていた。
それが、
「この人とも援助交際……してるのかな」
という、間にハッカを介した関係妄想を働かせていたのだ。
本来、関係妄想は無秩序な周囲の情報を、ところかまわず何でも自身に関連づけてしまう妄想癖のことだったが、儚は直接自分とはつなげずに、その間にハッカという自分以上の存在を置く二次的な妄想をおこっていた。
それがより儚の妄想を助長させた。
ハッくんには援助交際してるんでしょ、って脅しちゃったけど、そんな証拠はどこにもない。
「──でも!」
考えられずにはいられない。想像するのを抑えられない。妄想だっていうのはわかってる!
「でも、儚はハッくんが好き!」
お父さんもお母さんも、いつの間にか儚のことを見てくれなくなってた、声を聞いてくれなくなってた。けどハッくんは違う。ほんのちょっと冷たいけど、儚に話しかけてくれる。儚が儚だっていうコトを確かめさせてくれる。
だから儚にはハッカ以外いらない。
だからハッカにも自分以外見て欲しくない。
自分がこんなにもハッカのことが好きなのだから、他の有象無象(オンナ)が同じ想いを抱いていない保証なんてどこにもない。もし好きじゃないのだとしたら、なおさら近づけたくない。
「ホントなら」
本当なら、部屋中に監視カメラと盗聴器をしかけたいとさえ思っている。
料理にだって爪や髪の毛……秘所の毛さえ混入したい。けれどそんなことをしようものならハッカはすぐに勘で見抜き、問答無用で皿ごとポリバケツに放り捨てる。そしてその残飯を作った儚本人が片付ける。この少女にとってこれほど心に堪えるものはない。
他にもハッカ夜眠っている時、その寝顔を一晩中愛でていたい、あまつさえイタズラだってしたいとも思っている。が、一(ひと)度(たび)行動してしまえば簡単にばれ、その後は存在を否定されているとしか思えない完全無視がしばらく続く。
でもたまにハッくんはリビングのソファーで寝ることがある。その時は儚の人肌で温めた毛布をかけたりできるし、寒いけどベランダから一晩中あの寝顔を眺め続けられる。
「……はぁ、今日のハッくん、ちょっとだけ、優しかったな」
ハッくんの方から触ってくれた髪。シャンプーやトリートメントなんかで洗っちゃったら、逆に汚れちゃうから、今晩は髪を洗わなかった。
髪を切って大事に机の中に保管しようとも思ったけど、前髪を切ったら他の人と目が合いやすくなるから、やっぱりできなかった。
「カーゴパンツをロールアップしたハッくんの足、可愛かったな」
ミニソックスで露わになったくるぶし。
アキレス腱のくぼみ。
ちょっとだけ垢の浮いた柔らかそうな膝の裏。
「ピンク色した膝も……大好き。────────ンぅんっ……」
ハッくんのコトを考えていたら、どうしようもないくらい肉体(カラダ)が火照(あつ)くなってきちゃう。
「ダメなのに、ダメなのに、こんなコトしてハッくんを穢しちゃダメなのに!!」
それなのに、指の動きはどんどん加速していく。
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』1 作家名:山本ペチカ