ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』1
それはまるでカメレオンのようだった。いつでもどこでもまわりの風景や色に合わせているうち、気づいた時には自分の本当の色すら判らなくなってしまった──憐れなカメレオン。
もしかしたら、最初からハッカに〝色〟なんてものは無かったのかもしれない。
だからこそ、誰のキモチを理解できる代償(かわり)に──誰も自身を理解してはくれないのだ。その身はすでに他人という色に染まり、社会という模様に溶け込まれてしまっている。
ハッカはそれを必死になって否定した。自分ですら自分が理解(わか)らないのに、他の誰にかに勝手に決めつけられたくないと。
だからハッカは友達を作らない。
集団という大多数に埋没しないために他人と自分との間に線を引き、常に虚ろで不確かな自分を取ったのだ。
何にでも染まる〝白〟と、どんな濃厚色にも絶対に侵されない〝黒〟とを同居させた答えのない灰色のパラドックス。はたしてそこにあるのはどこまでも澄み切った無色透明な自意識(ココロ)なのか。
まさしく空っぽ、虚無、すっからかん、エンプティー、ノーバディ。
そして──、伽藍堂。
そんな他者からの存在定義を拒んだハッカに集まったのは、自然、ハッカ自体にはなんら興味のない人間たちばかりだった。
人は誰しも不確定な自己を内包している。それを少しでも鮮明にするために、他者や社会とかかわりを持つ。けれどそれで必ずしも自身の望んだ応えが返ってくる保証はない。逆に否定もされかねない。だから彼女らはハッカを求めた。決して自身を否定せず、真綿がつまったぬいぐるみのように受け止めてくれるハッカを。
けれども儚だけは、心を病んだ犬神憑きの少女、三千歳儚だけは受け入れることができなかった。なぜなら、
かつ。
「──っ」
出し抜け、歩くハッカの爪先に硬くて軽い物体がぶつかり転がった。からからと高い音を鳴らしながら、その物体は数メートル先の街灯下で止まった。ハッカはおもむろに腰を下ろして手に取る。
「……ケータイ?」
それはなんの変哲もない有り触れた携帯電話だった。機種としては一年ほど前に出たモデルで、取り立てて目立った機能もない二つ折り携帯電話。
「生きてる」
折り畳まれた本体を開いてみると、電池のランプが一つと電線が三本立っていた。
携帯電話を閉じる。携帯電話なんてなかなか落ちている物ではないが、だからと言って特に珍しい物でもない。本当なら警備会社(アトラクトインヒビター)へ届けるのが筋だが、この程度の代替品の世話を焼くほど、ハッカが殊勝であるはずもない。
ハッカの頭にこの携帯電話の有効的な利用方法が二つ挙がる。一つは電子マネー機能で何か高い買い物をする。
「……ボツ」
この時間でも開いていて徒歩でも行ける店など、百メートル先で看板を光らせているコンビニくらいしかない。
もう一つは飛ばし携帯としてブラック企業に五万前後で売り飛ばす。
「ムリっしょ」
小学生のハッカには、どのようなルートで闇金融に接触して売れるかもわからない。
そうなると選択は消去法だ。拾った物なのだから、元あった場所に戻すのが一番てっとり早い。それにハッカには親から毎月多額の生活費が振り込まれている。落ちている物で悪さをしようなど遊び心にも満たない幼い思いつきにすぎない。
ハッカは軽く周囲を見わたし、安易に人に踏まれない場所を探した。
そうして歩道の端に置くことを決め、その場に静かに腰を降ろそうとした時だった。
「ここって」
ふと、自分が夕方目撃した変死体の発見現場にいることに気がついた。
景色というのは季節でもそうだが、一日一日の時間帯だけで大きく装いを変える。暗くて、かつ同じようなビルや似通った道(みち)形(なり)を進んでいては、現在位置の把握は難しい。
「……これって、もしかして……」
児童変死体事件の発見現場。その近辺に落ちていた子供が使うような型の旧い安い携帯電話。ハッカの脳裡に、この携帯電話の落とし主の無残な姿が映し出される。
普通なら現場物品は警察が残らず回収していくのが常だ。だがあのアトラクトインヒビターの監視と行動制限の中では、網の目をもれた可能性もおそらくゼロではない。
数秒の思案の後、ハッカは携帯電話を開いた。
画面の液晶が暗い。いや、完全に電源が切れているとさえ言ってもいい。電池ランプはまだ一つ残っていたはずだが。
すると突然、鈴の音が鳴った。シャランと風に揺られたような軽い音。
と共に、四本の赤い線によって組まれた記号が画面に現れる。
ハッカののどに一かたまりの唾が落ちる。
鳥居だ。
ひとりでに画面に鳥居が映った。
黒い背景に一際目立つ赤い鳥居。
またぞろ、携帯電話が勝手に動き出す。今度はキーが不規則に光り出す。光っては消えてまた光る明滅の繰り返し。
そして最後に、十字キーの中央に明かりが集約する。
ハッカの親指が吸い寄せられるように光る中央キーに動く。
──が、
ピー、ピー。
電池が切れ、電源が落ちる。と同時に、ハッカの親指が止まる。
…………。
その場に固まって、凝然と拾った携帯電話を睨むハッカ。
「ふん」
すると何を思ったのか、携帯電話をカーゴパンツのポケットへ押し込み、何事もなかったかのように再び歩き出した。
オフィス街を抜け、小規模な工場区画を歩き、ターミナス関連企業の社宅やマンションが整然と立ち並ぶ私設公団へたどり着く。
エレベーターのボタンを最上階より二段低い一三階に指定。子供一人を乗せた金属の箱は重くゆっくりと鳴動しながら重力に逆らい上へ加速していく。
エレベーターから降りると、一番右端のドアの前に立った。
鍵のついた革紐を首から外し、重苦しい金属扉の鍵穴に差し込むと、これまた重苦しいごちゃりというロックの開放音。
部屋の中に広がっていたのは、外の乙(いつ)夜(や)よりも遥かに昏(くら)い常世の闇。
夜道を歩いていたハッカでも、この暗さに眼が慣れるには少し時間がいるだろう。
が、ハッカは靴を投げるように脱ぎ捨て、そのまま慣れた足取りで廊下を数歩進んで玄関の電気を点ける。
毎晩のように晩く帰ってきているハッカにしたら、これくらい朝飯、もとい夜飯前といえる。
リビングに行く途中で部屋中の灯りを点し、ソファーの上に着ていたカッパや肩にかけていた鞄をかなぐり捨てる。
部屋の間取りは2LDK。家族で住むには少々狭いが、ハッカ一人なら充分すぎる広さだった。それに、この部屋はハッカの為だけに父親が用意した仮住まいだ。家具や家電などの調度品も、必要最低限の物しか備えられていなく、どこか無機質然として生活感に乏しかった。
ハッカはリビングテーブルに鍵を投げると、ポケットにしまっておいた落し物の携帯電話に自身の充電器を差し込んだ。
そうして充電が完了するまでどう時間をつぶそうかと考えていると、ふと視界に食卓テーブルの端に所在無さげに置かれているメモ紙が映る。
そこには、
『ハッくんへ
今夜はハムと玉ねぎのチーズ焼きに、ウインナーときのこのフラン。つけ合わせにミニ唐揚げのサラダとコーンスープを作りました。
九時ごろまで待ってたんだけど、ハッくんが遅いので儚は部屋に帰ります。
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』1 作家名:山本ペチカ