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山本ペチカ
山本ペチカ
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ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』1

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 胡(う)乱(ろん)な顔と瞳は、一切の感情を読み取らせない。けれどそれは決して無表情ではなく、近いものをあげれば能面の小(こ)面(おもて)と呼ばれる仮面に似ている。見る角度や方向、所作一つで怒っているように、笑っているようにも、また泣いているようにも見えてしまう玄(げん)妙(みよう)な面だ。
 そこに映るのは自身の主観(ココロ)か、それとも他者の客観(キモチ)か。
彼はいつも孤独(ひとり)だった。
「あ、ネコくん。今日も来てたんだ」
 不意に、ハッカの横から女性が軽妙な口調(トーン)で話しかけてきた。
 ハッカは軽く横目で一瞥する。
「ホントよく会うよね、アタシたちって」
 女性はそう言いながら隣まで歩み寄り、雨で湿ったハッカの灰色の髪を見下ろした。
「今日はなにを見てるの?」
 微笑みと共に投げかけられるあいさつじみた質問。訊かれたハッカは、前方に向かって真っ直ぐ指をのばした。女性がそれに釣られてハッカの指の先に視線を走らせた瞬間、スクランブル交差点の四方に位置する四基の歩行者信号が一斉に赤から青へと変わり、黒山の人だかりが入り乱れる。
「あれが、なに? もしかしてスクランブル交差点のこと?」
 ハッカは静かに首肯する。
「ああやって行き交う人の波を見てるんだ、ぼくは」
「……人間観察って、ヤツ?」
「ううん、ちょっとちがう。ぼくが見てるのは人そのものじゃなくて、むしろその間、かな。人と人のスキマにある、視えない壁……みたいなもの」
「〝視えない壁〟?」
 女性は小首を傾げハッカの横顔を見遣る。
「ああやって肩先を数センチのスキマで次々にいろんな人とすれちがってるけど、みんな相手と目を合わせるどころか、どこに焦点を合わせてるのかもよくわからない顔している。でもそれなのにほとんどぶつかることなんてない。そんなのがこの二〇メートル四方の中で無数に起きてるんだ。
 そう考えると、あそこにはたくさんの視えない壁がある。あれがあるからこそ、人は自分が誰なのかを忘れずにいられるんじゃないかって、思えてくるんだ」
 言い終わってハッカは口を紡いだ。
 女性は逡巡するようにハッカとスクランブル交差点とに視線を何度か往復させると、
「ふぅん。じゃ、アタシもちょっとマネしてみようかな」
 と言ってハッカの隣にベタ座りする。女性はメンソールの効いた煙草、クール・ライト・ボックスを一本銜え、隣のハッカにも「一本どう?」といった仕草で箱の口を差し出した。
 ハッカはそれをやおら首を横に振りつつしんだ。
「あは、当たり前か」
 その女性は髪を染めて化粧をし、ブランドバッグで着飾ってはいるが、態度や表情は大人と呼びには幾分まだ幼かった。
 実際、彼女の年齢は成人にはまだ何年もの余裕を残している。外見で誤魔化しているだけで、彼女は高校生の硬い蕾のような女らしさしかない〝少女〟だった。
「実は今カレシとさ──」
 そうして少女は隣にいる少年に最近の出来事など、身の上話を語り始める。
 今つき合っている彼氏とのノロケ話。また愚痴。
 親とはずいぶん揉めて家を出ていったこと。
 学校に自分の居場所がなくなって、三月の留年を機に自主退学したこと。
 そんな話を、何気ない声音で事も無げに次々と並べ立てる。
 ハッカの方も特にこれといったリアクションや返答をするでもなかったが、静かに少女の話に耳を傾けていた。
「メールきた」
 話の腰を折るように、唐突に彼女の携帯電話が振動を起こす。
 すると携帯電話の画面を見つめる少女の顔が、にわかにくもった。
「仕事のメール?」
「そ。一時間後にエイヴィヒカイトってライヴハイスの前で待ち合わせだって。けっこう奮発してくれるお客さんだから、ここで一発ドカンと稼がないと。カレもアタシも飢え死にしちゃうもん」
 笑顔で携帯電話を閉じて髪をかき上げた。
 うなじからのぞかせたのは痛々しい青痣。他にも服の裾や襟からも、同様の痣や生傷がいくつも数えられた。
 それが彼氏の暴力によるものなのか、それとも今から逢うという上客の〝行為〟によってつけられたモノなのか。ハッカは聞かされていないし、また知りたいとも思わなかった。
 ただ何でもしゃべるように見えて、人には言いたくないことは言わない。それだけのことだと、ハッカは理解していた。
「そういやネコくん、ひとつ訊いてもいい?」
 不意に、少女は首を横にしてハッカに直接視線を向けた。
 彼女がハッカを名前で呼ばないのは、ただ単に名前をしらないから。互いに深くかかわり合う気のない二人は、出逢ってから一度も名乗り合ったことはない。だから彼女は、ハッカに対しての第一印象である「なんかキミってネコみたい」を、そのまま呼び名にしてしまった。
 猫のように誰がそばにきても逃げず簡単に触らせるくせに、心の真ん中では懐く気なんてさらさらない──というのを、彼女は無意識的に察して口から零したのだ。
「何を?」
 かくいうハッカの方には、少女を特定する決まった呼び名はない。彼女から話しかけることはあっても、ハッカからはまずないからだ。
「ネコくんはさ、神サマって──いると思う?」
「神……、サマ」
 不意に、ハッカの脳裡に自称狼神を名乗るマペットを左手に携えた伏し目がちの少女の姿が去来する。
「ネコくん?」
 固まるハッカを、隣から心配気に横顔を覗き込む少女。
 ハッカは雑念を払いのけるようにかぶりを振った。
「どうかした? 顔色悪くない?」
「……何でもない。それよりも何なのさ、その〝神サマ〟って」
 訊き返された少女は一拍間を開けると、穏やかな声でこう言った。
「虹蛇(ナギ)ノ杜(もり)っていう神社の話──聞いたことない?」
 その言葉に、ハッカはピクリと耳をそばだてた。
「虹蛇ノ杜って、あの都市伝説の?」
「なんだ、知ってたんじゃん」
 いちいち確認など取るまでもない。《虹蛇ノ杜》──この都市伝説なら、暁刀浦市の界隈に住む人間なら誰もが一度は耳にしたことのある単語だ。
 曰く、その神社は現実には存在しない。
 曰く、その神社は広大なネットワークの海のどこかにある。
 曰く、その神社にたどり着けた者にはどんな願いも叶えられる。
 そう喧伝されていた。
 しかし、
「でもあんなの、ただの作り話でしょ」
「どうしてそう思うの?」
「だってあの神社、ゼンゼンどこにも見あたんないだもん」
 事実、どの検索エンジンで《虹蛇ノ杜》と検索をかけたところで、ヒット件数はゼロ。陰謀論好きの好事家たちはどこぞのサーバーの機密領域の名前だの、またそのパスワードなどと風評を立てたが結局答えらしいこたえにはたどり着かなかった。
「でもね、実はアタシ、あの神社に参拝できるかもしれないんだ」
「──え?」
 思いもよらぬ応えに、ハッカは思わず声を上擦らせた。が、すぐに強ばった顔の筋肉を弛緩させ、また元の無感動な鉄面皮に戻ってしまった。
「どうやってって、訊かないの?」
「…………」
「なにその態度、もしかして信じてない?」
 ハッカは何も応えない。大きな眼を切れ長に細め、小さくあくびをしただけだった。