ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』1
ハッカは人の隙間を縫うような足運びで、停留所を目の前にしたコンビニへ滑り込む。
籠を手にして雑誌コーナーから回ると、適当に選んだマンガ雑誌を二つ放りこんだ。
そのまま足をとめずにペットボトル飲料が並ぶ冷蔵庫から期間限定のジュースを取り出し、サンドウィッチとカロリーメイトを。
そうしていざレジへ並ぼうと歩を進めるハッカに、不意に黄色の物体が視界をかすめた。
それはコンビニが製菓メーカーに発注して作らせたコラボ企画のプリンだった。
POPのボール紙にはコンビニ商品にしてはやや値のはる金額が提示されているが、ハッカは迷わずそれも籠の中へ。
「二四九〇円です」
大学生のアルバイトの青年は、事務的な所作と態度と声音という〝いかにもな〟対応を見せた。
ハッカが無言で三〇〇〇円を差し出す。
「五一〇円のお返しになります」
アルバイトは小銭を文鎮代わりにレシートを置く。すると、
ちゃりん。
ハッカは返された五〇〇円玉と一〇円玉を、なんの躊躇いもなく募金箱へと捨てた。それはレシートをレジ前のゴミ箱に入れるのとなんら変わりの動作。
アルバイトの青年も思わず少年を見遣る。
「ああ、小銭って財布が重くなるんでキラいなんですよ、ぼく」
訊かれてもいないのに、ハッカは事も無げに口述する。
微笑みを口元と目元に残し、コンビニ袋を取って自動ドアの前に立つ。
「あ……、ありがとうございました」
しかしその言葉を向けられた相手は、もう聞こえる距離にはいなかった。
コンビニを出たハッカは、ビル沿いの歩道をとことこ歩き続ける。
と、数分と経たないうちに、ハッカの歩みは緩慢になり、ついには完全に停滞した。
前には歩道をのり出し車道にまではみ出た黒山の人だかりができているのだ。
その横には白と黒という地味なコントラストながら、それ故に人々に警戒をあたえる車──パトカーが二台停まっている。
何かしらの事件があったのは明白だったが、そんなものにまったく興味を示さないハッカは人だかりを泳ぐようにかき分け進む。
「──痛っ」
けれども自らの意志とは反して、小さなハッカの身体は逆に人の波に呑まれてしまった。
それでもなんとか脱出を試みようと身を屈めると、どうにか開けた場所までたどりつくことに成功した。
が、そこにあった光景は、物々しい群青の制服をきた警官と、それとは対照的な白の制服をきた警備員たち。
どうやら抜け出すつもりが、逆に人だかりの中心に流されていたらしい。
そこはビルとビルの間に挟まれた暗い路地で、膨らんだブルーシートを取り囲むようにして警察官が現場検証を行っている。テレビでもよく目にするその光景では、いつも警察官たちは事務的で無駄のない動きでやっているものだ。が、ここにいる人たちは一様に苛立ちを浮かべていた。
それはおそらく自分たちを並んで閉じ込める、白い制服の警備員たちにあるのだろう。彼ら警官の仕事を手伝うでもなく、バリケードとなって一般人が近づくのを抑えている。
しかし本当の意味はそれとはまったくの逆だ。
彼らは一般人ではなく、警察の方の動きを牽制しているのだ。
彼らはターミナス傘下の警備会社の人間で、ファウンデーションの治安維持活動は彼らアトラクトインヒビターが全権限を担っている。
多国籍企業かつ人工島が完全な所領であることから、治外法権を主張する財団側は、国や地方自治体からの干渉を頑なに拒み続けている。
行政活動から治安活動にいたるまで、そのすべてを自分たちで執り仕切ろうと考えるファウンデーションにとって、公的機関との関係など束縛以外の何物でもない。
しかしファウンデーション内で暁刀浦市の市民がなんらかの刑事事件に巻き込まれた場合に限り、警察の介入行動が許されている。だがそれもあくまで自警団体──アトラクトインヒビターの眼が届いている場所のみに限定される。
それが今ハッカの前で繰り広げられている、奇妙な光景の正体だった。
ふと、ハッカは理事長室で観たニュースの内容を思い出した。
テレビではライブ中継はされてなかったが、たしかオフィス街で遺体がみつかったと言っていた。つまりあのブルーシートの膨らみの正体は、そのものずばり子供の死体ということに他ならない。
するとハッカの頭上で、大人たちの噂話が飛び交った。
なんでも昨夜の台風で飛ばされたゴミが、遺体の周りに集まって今の今まで人目につかなかったらしい。
他にも、清掃員の中年男性が第一発見者で、警備会社と警察からそれぞれ謝礼金をもらっただの、取るに足らないどうでもいい話まで聞こえてくる。
テレビで観た緊急速報から時間は大分経っている。普通は遺体をいつまでも現場に放置しない。
おそらくこの人ごみはそういったことにも起因しているのだろう。
ほどなくして、サイレンの音を響かせた救急車輌が道路の奥から勢いよく走ってきた。
後部荷物室ルーフに排気ダクトが設けられた遺体運搬を目的とした警察車輌だ。
そうすると警察官たちにあった異様な殺気が少しだけ和らぐ。ずっとこの遺体運搬車を待っていたのだろう。
遅れた原因は暁刀浦市とファウンデーションを繋ぐ厳重な関所(ゲート)。
スムーズに命令が行き届いていなかったらしく、そこで足止めを食らったのだと運搬車から出てきた警官が言った。
警官たちの冷めた視線がアトラクトインヒビターに集まる。
けれど警備員の面々はどこ吹く風。厚かましい鉄面皮を崩さない。
遺体を車へ移動させようとしたその時だった。一陣の風が現場を吹き抜けた。
周囲は高層ビルが林立するオフィス街。答えを言ってしまえば、それはビル風。その中でも建物にぶつかって壁面をくだって来た剥離流と呼ばれる風だった。風威はそれほどでもないが、その速さは決して侮れない。
するとその風が、遺体を隠していたブルーシートを盗み去って往く。
横たわるのは中学生ほどの少年。噂通り、白髪という点を除けばパっと見、外傷らしい外傷はどこにもない。本当に脳だけが消えてなくっているらしい。
と、次の瞬間、少年の眼球がドロリと頭蓋の中を落ちた。
支える脳髄がないのだから、それはいたく自然な現象だった。しかし正常な精神を持った者には、あまりに堪えがたい光景なのもまた事実。
現場を取り囲んでいた物見客の間で、どよめきが駆け抜ける。
OLからは黄色い声が、中年の男性陣すら、口に手を当てて蒼褪める。
が、その中で唯一顔色を変えない者がいた。
「…………」
ハッカだ。
怖がる所か、逆に退屈したように目蓋を細め、そのままあくびを一つ。
固まって動かない野次馬をよそに、一人歩道を抜けて群衆から去って行った。
† † †
「どうも、こんにちは」
「ああ、ハッカくん。こんにちは。なに? 今日もお父さんのお部屋つかうの?」
「はい」
「お姉さん的にはあんまり子供が遅くまで外に出てるのは感心しないな~……、そうだ。帰り一緒に帰らない? ごはんおごってあげるよ?」
「あ……、ごめんなさい。実はもう買ってあるんです」
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』1 作家名:山本ペチカ