ウロボロスの脳内麻薬 第一章 『首吊り御伽草子』
「怒ってる。〝鬼〟怒ってる。けどこれ以上めそめそ泣くんだったらもっと怒る」
「んっ──」
ハッカの言葉に奮い立たされたのか、少女は制服の袖で顔を擦り、必死に嗚(お)咽(えつ)をのどで押しとどめた。
「あっ、あのね、その。……実は携帯電話なくしちゃったの。でね、いつもみたいにハッくんが一緒に探してくれればすぐにみつかるかなって……それでね……」
ハッカの頭の中で、「ウザい」そして「またよか」の二つの単語が自動的に列挙される。
このポンコツ少女──三(み)千(ち)歳(とせ) 儚(はかな)はいつもこうだった。何かと似たような理由を見つけては、自身より一回りも年下の少年ハッカにつき纏ってくる。
しかしこうしてつかまってしまい、あまつさえ泣きが入ってしまっては、もうどんなことをしても逃げ切ることはできない。
「はぁ、分かったよ。つき合えばいいんだろ、オマエに」
「えっ! ホント、ハッくん!?」
野暮ったくのびた前髪の隙間から嬉しそうに瞳を輝かせる。
「どうせ教室なんだろ。だったら早く案内しろよ」
「う、うん、ありがとう! あっ、そうだ!」
不意に脳裡に何かが去来したのか、儚は肩にさげていたナイロンの学生鞄をまさぐり出す。と、そこから出て来たのは調理に使う鍋つかみのような厚手の手袋だった。
「せっかくだから真神サマにもお礼言ってもらうから、ちょっと待ってね」
「あっ、バカやめろ!」
ハッカの制止を聞くこともなく、儚は灰色の鍋つかみをおもむろに自身の右手に覆い被せる。すると、
『ふん、こんな小僧がいなくとも、儂の鼻をもってすれば絡(から)繰(く)りの一つや二つ造作なく見つけてくれるわ!』
開口一番、居丈高にハッカに憎まれ口を叩いたのは、なんと儚が右手にはめた鍋つかみだった。
いや、鍋つかみと言うには少し語弊がある。鍋つかみとして使えないこともないが、それ本来の用途は手の動きで声をアテレコする操り人形、所謂マペットの類だからだ。ちなみにデザインは子供番組のマスコット調にデフォルメされた犬の形をしている。
しかしそうなるとこの意気軒昂とした物言いは、そのものずばり儚が発していることになる。
けれどもその口調は、何をしゃべるにもどもりがちな気弱な少女のイメージとはギャップがありすぎる。それ以前に声音自体が低くハスキーの利いた男の声。可憐で、その名の通り儚い少女の声音とはあまりにもかけ離れていた。
「へぇ、さすがは駄犬サマ。そのボタンで出来た鼻は同じプラスチックのケータイを嗅ぎ分けられるって理屈ですか。スゴイスゴイ、お利口さんですね駄犬サマは」
『ヌっ、再三言ってるように、儂は〝犬〟じゃない! 〝狼〟だ!
しかもただの狼じゃない、飛鳥(あすか)の荒ぶる神──〝大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)〟とはこの俺さまの事だ!』
「へぇ、その姿(ナリ)で神サマですか。ぼくみたいな小学生(ガキ)には、貧乏人形劇団の小道具にしか見えませんよ。やっぱり見る人が見れば違うもんなのかな」
『貴様っ! この荒(あら)御(み)霊(たま)──〝真神〟をつかまえて、よもや貧乏人形劇団だとっ!? 噛み殺されたいか!!』
「博多の塩二五グラム」
『なにっ!?』
「〝しょっぱ過ぎ〟ってコトだよ。テンションにまかせて粋がるだけなら、別に神サマでなくたってできるって言いたいんだよ。それに噛み殺すって歯もあごもないくせにどうやってするつもり?」
『口巧者の小僧が。ならば儂が宿る儚の右手で、貴様を扼(やく)殺(さつ)してやろうかッ!?』
小学生とマペットの当て所ない罵り合い。
この一人と一匹(?)は、顔を合わせるたびいつもこうだ。
冷静なままトゲのある言葉で挑発するハッカ。
昔気質の硬派をきどる自称狼神の真神は、愚直なまでにハッカの皮肉に吠え立てる。
その関係は儚とはまた違ったケースの水と油。
それにどういう理屈かは本人たちでさえ定かではないが、この少女と狼との繋がりは、単なる腹話術とは一線を画している。
一つの身体に二つの心。口頭で会話すらやってのけるこれらは、価値観、性格、気質、性質をすべて分け隔てたまったくの別人格。
周りの人間には多重人格とも、どっかから怪しい電波を受信した不思議ちゃんとも言われているが、結局のところ真相は謎。
判っていることと言えば、ハッカはこの少女と狼が大の苦手ということくらいだ。
「もぉ~、真神サマ~、せっかくハッくんが手伝ってくれるって言ってるのに、なんでそんな意地悪しいのかな? ハッくんは心からの善意産地直送一〇〇パーセントでつき合ってくれるんだよ?」
「え?」
『は?』
儚から飛びだした最後の一言に、ハッカと真神は思わず声を揃えた。
『いやいやいやいや。こいつの態度はあからさまに不承不承だぞ!? いい加減眼を醒ませ、ご都合解釈はいつか身を滅ぼすぞ!』
「え~、違うよ。ダメダメしい儚のことが気になって仕方ないんだよ~」
そう主張する儚に、ハッカと真神は頭を痛める。
この少女は何かにつけて思い込みが激しすぎる。少しでも嬉しいことがあればそれをどこまでも曲解・拡大解釈をして、自身の中で綺麗な思い出として仕舞い込む。
それはどんな状況でもポジティブ面ばかりに自己満足して、現状を正しく判断しようとしない現実逃避──ポリアンナ症候群に酷似していた。
そればかりか、さっきまでの泣きべそをかき、目に見えて情緒不安定だったにもかかわらず、今ではテンションが異様に高い。この気分ムラの激しさは明らかに躁鬱病に類している。
「ささ、ケンカしてないで早く儚の教室に行こうよ。じゃないと日が暮れちゃうよ」
有無を言わさず儚はハッカの手を取ると、大股開きで歩き出した。
白樺学園の高等部校舎は、校庭とフェンスを挟んだ二〇〇メートル先にあった。同時期に造られ、エスカレーター式の私立学校では、校舎自体の大きさやデザインはそう変わりない。強いて違いを挙げるなら、それは学校そのものではなく生徒の着る服装にある。本来この手の私立学校なら、小・中・高と制服は統一されてしかるべきだが、白樺学園では初等部は私服。中等部の男子は学ランに、女子はセーラー服。高等部は男女ブレザーだった。
かなり異色といえば異色だったが、理由ははっきりしている。理事長の趣味だ。
そもそも学校の名前が〝リカちゃん〟が通う学校の名前と同じなのも、執務室をわざわざ初等部の校舎、しかも子供たちをもっとも多く間近で観察できる生徒昇降口に構えているのも、すべては理事長の独断。そして小学生なら私服を着るべきという偏見もここから来ている。
しかしそれぞれの教育課程で違った服装が楽しめ、またそのデザインにも定評があるこの学園では、毎年の入学・編入希望者はあとを絶たない。
それに経営母体でもある巨大複合企業(コングリマリツト)──〝ターミナス〟の資金は潤沢で、その教育方針も純粋な次世代育成にあるため他の私立校に比べれば決して学費も高くはない。そればかりか、元々は自社社員の子供を教育するカンパニースクールとして端を発しているため、親がターミナスの関連企業に勤めている子供はその学費がことごとく無料(タダ)ときている。
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第一章 『首吊り御伽草子』 作家名:山本ペチカ