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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第一章 『首吊り御伽草子』

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「そんなだから結婚できないんですよ。キャリアウーマンだって持てはやされて胡坐(あぐら)をかいていられるのも、時間の問題ですよ。そもそもアラフォーなんてジャンル、もうとっくにブーム落ちしてるし、あと残ってるのなんて痛い雑誌読んで自分たちのことを〝女子〟て呼んでおたがいをなぐさめ合う〝みそっかす〟中年女だけなんですから」
「うふふ、ですかね~」
 自分よりもはるかに目上で、かつ敬うべき立場にある女性に、ハッカはどこまでも悪態をついた。実際のその年代の女性に言ったならば、おそらくはヒルテリーさえ起こしかねない言動だろう。が、理事長はたおやかな笑みで返すばかり。
 理事長も少年の言葉には芯の部分で毒気や角がないのを理解(わか)っている。だから怒る気にはならなかった。
 この二人の奇妙な関係は、二ヶ月前のほんの些細な偶然からはじめった。
 その日は春の始業式で、ハッカは今日と同じように昼寝で放課後をつぶしていた。
 午前で終了した学校の日程から、気がつくと学校にいる生徒は自分一人。
 とぼとぼ校舎を徘徊していると、数センチだけ隙間をのぞかせたドアに行き着く。
 それはこの学校で唯一の木製の開き戸を備えた部屋だった。
 部屋から漏れるのは二種類の声音。
 その中で繰り広げられていたのは二体の人形の織りなす寝技劇。
 それを操る中年女性。
 見てはいけないものを見てしまった。開けてはいけない扉を開けてしまった。
 けれども風で軋んだ蝶番は、奇しくも二人を邂(かい)逅(こう)させる。
 それが出逢いのきっかけ。
 秘密を口外されるのを恐れた理事長は、それから一週間、ハッカを自身の執務室で軟禁した。
 と言ってもそれは言葉ほど物騒なものではなく、傍(はた)目(め)から見れば放課後に理事長が生徒の一人とお茶を飲んでいるだけの風景。それから理事長が目の前の少年が人畜無害と判断できたのはそう遠くない未来だった。
 以来、こうしてデスクワークの休憩がてらにハッカを捉まえる日々が始まる。
 ハッカもそこにまったく嫌悪感を抱いておらず、ただ受動的に自身を取り巻く環境に順応している。
 ぱち。
 会話に飽きたハッカは、テーブルにあったリモコンで六〇インチの有機ELテレビの電源を点ける。
『夏の訪れを報せに来た台風四号は、現在は小康状態を保ちつつ本州を北上しています。各地でも目立った被害は報告されていません』
 それは五時から放送される夕方のニュース番組だった。
 どうやら足の速かった今回の台風は、近日中には日本海へ抜けるらしい。
『──と、ここで臨時ニュースが入りました。えー……現在T県暁刀(あきと)浦(うら)市で続いている児童変死体事件に新たに五人目の犠牲者が確認されました』
 児童変死体事件──その単語に反応したハッカは、すぐさま顔を前へ向けた。
 その先には痛ましさをにじませた理事長の姿が。
「こちらにはまだ情報は入っていません。けれどうちでも起きている〝神隠し〟と、きっと無関係ではないのでしょうね」
 神隠しとは、この町──暁刀浦市で連鎖的拡大を見せている連続児童失踪事件のことだ。
 この場合の児童とは学校教育法においての満六歳から一二歳の学童をさすものではなく、児童福祉法にのっとった満一八歳未満の少年少女をしめす。
 つまり連続児童失踪事件とは、文字通りの未成年の神隠し事件。年齢も学校も別々で、さらにはそれぞれ交友関係すらない子供たちが次々に行方をくらませ続けているのだ。
 本来なら事件なのか事故なのかすら判別しきれず、それぞれが別件として処理されるはずの事案だったが、この街で起こっているのは明らかに根が大綱で繋がっている。なぜなら一ヶ月のスパンで、確認されているだけでもすでに三件もの行方不明者。さらに警察に報告されていない非公式の失踪も合わせればそれは誰がみても異常な数字だった。
 ただでさえこの国の人間は子供の神隠しという事象には敏感だ。なかば時代倒錯しかけているかのように思えるが、今の世の中が科学と情報で明るく照らされているからこそ、数の限られた謎(ヤミ)は人々に必要以上の不安を与える。
 しかも話はそれだけに留まらない。
 その行方をくらました子供たちが、なんの前触れもなしに死体となって発見されている。
 それが今ニュースで流れている児童変死体事件。
 この〝変死体〟と言わしめているのが、脳髄がまるまる消えてなくなり頭髪が白く脱色されるという、怪奇と凄惨さを極めた死に方にあった。
 肉体に目立った外傷はないのに、その中枢神経のみがなくなった死体。しかもそれにはなんら外科手術のあとがないという。
 だからと言って、ミイラ作りのように耳や鼻の孔から脳(のう)漿(しよう)を掻き出した痕跡も見つからない。
 当然これにはテレビ、ネット、街角と、場所を問わず多くの憶測が飛び交った。
 しかし手がかりと呼べる物が何一つ見つからないのでは、おおよそそれらの議論に意味などない。一部のオカルトマニアの間では新興のカルト宗教の儀式、はては宇宙人の人体実験、異界に迷い込んで妖怪に脳みそを食われた、などの突飛な噂まで囁かれた。もうここまでいけばSFファンタジーだ。人々はすぐそこまで迫った恐怖を、話を誇張することで現実逃避したのだ。
 さりとて、子供を抱えた親や学校ではそうも言ってはいられない。
 連続児童失踪事件と児童変死体事件──この真相がみえない二つの事件は、確固たる因果関係で結ばれているのは自明の理だ。そうしていつしかこれらの事案は、総じて脳みそ隠し──〝ブレインジャック事件〟と呼称されるようになっていた。
 ハッカの通う白樺学園では、一週間前から集団での登下校が義務化されていた。
 教師や地域自治体の大人たちを通学路や校区内に配置して、常に監視の目を光らせているわけだ。
 学校そのものを一時閉鎖するという案さえ出たが「それでは逆に子供たちを把握できなくなるのではないか」、という意見に圧され今に至る。マニュアル化されてはいるが、わかっている情報が限りなく少ない現状では、これがもっとも妥当といえた。
 これらが放課後の校舎に生徒や教職員がいない理由だった。
 けれど全員が全員、新しく敷かれたルールを守っているわけではない。当の子供たちからすれば、そんなものは迷惑以外の何物でもないからだ。
 おそらくその最たる例がここで横(おう)柄(へい)に構えている少年──麦村ハッカだろう。
 まず彼は一度として集団登下校に参加していない。そればかりか指定された通学路すら避けて通る。
 理事長もそれを許容しているのか、なかば放任というカタチで見逃している。
「でも、あなたのポイズン症にも困ったものですね」
「ポイズン?」
「そう、ポイズン症候群。言いたい事も言えないこんな世の中だから、ついポイズンしちゃうんでしょう?」
「それ……いつの時代のドラマですか」
 ハッカは呆れて溜息を吐く。
 実際、ハッカの協調性の欠如は子供特有のものとは違っていた。
 理事長の人形遊びにもなんだかんだでいつもつき合うし、基本的に頼みごとの類には非常に素直だ。