金色のうさぎ
「聡、聡っ!」
僕を呼ぶ声がして、ゆっくりと目を開けた。一番最初に見えたのはお母さんの泣き顔。僕を見下ろして、名前を呼びながら泣きじゃくる懐かしい顔だった。
「ああ、良かった。聡。本当に良かった」
お母さんの後ろにはお父さんとお姉ちゃん。そして、反対側には真っ白な白衣を着た年配の男性。
「ここは? 病院?」
「そうだよ。バイクで事故を起こして、君はこの病院に運ばれてきたんだ」
じゃあ、この人はお医者さんか。
答えてくれたおじさんを見て思う。
そうだ。そういえば、バイクに乗っていて大学に行く途中のカーブで転んで……。
横たわっている身体を少し動かそうとしたら、電気みたいにそこらじゅうから痛みが全身を駆け回った。
「からだが痛い」
「当たり前よっ! もうっ!」
泣いていた母が怒り出す。ああ、戻ってきたんだなって思う。
あの老人のおかげで……あの子を見捨てて……僕はこうして戻ってきた。
お父さんもお姉ちゃんも顔をくしゃくしゃにして泣いている。僕がこうして戻ってきた事を喜んでくれる人がいる。
そう、僕はここに戻ってきて良かったのだろう。
でも、最後に見た子どもの顔が浮かぶ。泣き叫ぶ声もまだ耳の奥に残っている。
あの子もきっと死にたくはなかったのだろう。僕を待つ人がいたようにあの子を待つ人だってきっと大勢いた筈だから。
「まぁ、しばらくは安静にしていてね。一週間ほどで、ここから出て普通の病室に移れると思うからね」
「ありがとうございます」
お医者さんが出て行く。僕は僕が寝ている部屋を見渡した。何もかも白い白い部屋。僕の寝ているベッドの脇には様々な機械が並んでいる。そして、もう一つ、小さなベッド……。
「隣のベッドは?」
「ああ、お前と同じ時期に交通事故で運ばれてきた子だよ。可哀想にまだ小さいのにな」
お父さんが言う。
「小さな子って……もしかして男の子?」
「そうだよ。二歳ぐらいかな?」
「えっ、そ、それって……」
僕の言葉をさえぎるように小さなベッドからくぐもった泣き声が上がった。
聞き覚えのある声……この声はあの子だっ! あの子がここにいるっ!
「目を覚まして、側に誰もいないと不安だろうに。ちょっと呼んでくるよ」
お父さんがそういって出て行くと、さきほど出て行ったお医者さんとその後ろに疲れた様子の女性が来て、その小さなベッドの脇に駆け寄った。
「ああ、良かった。大丈夫ですよ。もう大丈夫」
お医者さんがそういうと女の人は泣きながらベッドの脇に崩れ落ちた。
「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたが本当に良かった」
にこにこしているお医者さんを目の前に、女性は「ありがとうございます」と繰り返して泣きじゃくっている。
そうか、あの子も助かったのか。思わず、安堵のため息が漏れる。
「ママ、ママ」
男の子が泣いている。よっぽど恐かったのだろう、泣きじゃくっている。あんな体験をすれば大人だって恐い。子どもならなおさらだろう。
「良かった。良かったわね」
母親が子どもの頭を撫でる。いとしくていとしくてしょうがないというように撫でている。泣き声が段々と小さくなる。しゃくりあげながら、子どもが言う。
「大きなおじいちゃんが助けてくれたの」
「そう。そうなの」
「わしはもういいからって助けてくれたの」
「夢を見てたのね。助けてくれて良かったわね。良かった。本当に良かった」
母親の最後の言葉は再び泣き声に変わる。
大きなおじいちゃん……あの人だろうか。
あの人があの子を? 自分の命と引き換えに?
老人の優しい瞳を思い出す。僕が出来なかった事をやってのけた人がいたんだ。
金色のうさぎが跳ねる。目の前を跳ねていく。
僕は今度は幸福な夢を見るためにゆっくりと目を閉じた。
了