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アラクノフォビア

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 雑木林はそれまでの晴れ空とは打って変わって、どんよりとした景色が広がります。木々が風に揺れて、湿った空気の匂いがしていた……と思います。だって、昔のことなので、周りのことなんていちいち覚えてはいません。
 とにかく私は薄暗い林の中へと進んでいったのです。深く深く、進んで行けば行くほど、私の気分も暗く暗く落ちていきました。
 後悔、当時はそんな言葉は知りませんでしたが、私は確かに後悔していました。
『あれ?』
 だから、早く帰っておやつでも食べて宿題をしよう、そう思って私は引き返そうとしました。なのにどうしてでしょう、まっすぐ歩いてきたはずなのに、帰り道がわからないのです。きっと同じような景色が続いていたから、ちょっとずつ道がずれていたことに気付かなかったのでしょう。
 とにかく、私は雑木林の中で迷ってしまったのです。
あんなに楽しそうだったのが嘘みたいに、そのときにはもう泣き出しそうなくらいに不安で、実際に私は涙目になっていたと思います。
独りきりで棒立ちです。洒落にならない状況です。今では笑い話ですけどね。
さて、そんな私は何を思ったのか今よりも小さい手をぎゅっと握り締めて、走り出しました。はあはあと、息を切らしながら全速力で、ただまっすぐ走りました。もしかしたら逃げ出したかったのかもしれません。どうしようもないほどに不安で悲しくて寂しい、その場所から、陽のあたる明るい場所へ行きたくて。
私は走りました。おんなじような景色をわき目に。
目には少しだけ涙が浮かんでいて、その景色もまともに見えてはいなかったのですが。
そうして、結局私は足を止めてしまいました。もちろん、体力がもたなかったということもありますが、一番の理由は、足止めを食らってしまったことです。
『うぁっ……はあはあ、いやっ!』
 それはクモの巣でした。
木と木の間に広々と張られた、うっすらとひかるねばねばした、白い糸。
 気持ち悪くて、私は無我夢中で巣を払いました。払っても払っても、巣はまだそこにあるかのように思えて、何度も何度も腕を振り回していました。
 脆い、簡単に振りほどけるようなクモの巣も、そのときの私にとっては怖くて仕方がなかったのです。それこそ、まるでクモの巣に捕らえられた蝶にでもなったようで。
『はあはあ……ううっ、うわぁぁぁ……』
 ついには泣き出してしまいました。
『うぅ、ぐす……あ、れ?』
 涙を拭おうとして、どうやら私は拳を握り締めたままだということに気付きました。きっと緊張が臨海突破をしていたのかもしれません……ん?臨海?あ、臨界ですね。
 そして、恐る恐る、ゆっくりと手を広げました。右手に違和感を覚えながら。
すると、
『っ! うげぇぇぇっ……い、いやぁぁぁっ!』
私の右手には中途半端に潰れたクモがいたのです。胴が崩れて、汚い体液をこぼして。今思い出しても鳥肌モノ、トラウマです。
 そうして、その日の記憶は一旦途絶えます。最後に見たのは、壊れかけのクモと、湿った腐葉土の上に、給食だったものが撒き散らされている姿だけです。

作品名:アラクノフォビア 作家名:硝子匣