しっぽ物語 10.青ひげ
Gが口を開く前に、鬱陶しげな口ぶりで遮る。
「言い訳はいらない。問題はこれから先の話だろう」
額に滲んだ汗が、身体の具合を示している。まだまだ本調子とまでは行かない。病院から戻って以来、Lの精神はどこか動きが鈍っているように思えた。癇虫から来る鋭利さこそ健在だが、その起伏の激しさと表づらの間を、分厚い膜が阻んでいるようで、どうにも態度が煮え切らない。先ほどのように感情の赴くまま喚き散らされたほうが、扱うほうとしては格段に楽だった。
「Fは何もしてないんだろう。だったら、騒ぐ必要なんか何一つない」
「何も無いと言い切れるか?」
安っぽいコピー用紙は手の汗を吸い、くんにゃりと曲がって遮った視界を開いてみせる。握り締めた指の背に頬を預けたLは、まだ目を閉じたまま唇を動かしている。
「そこがおまえの駄目なところなんだよ。人の感情がまるで分かってない」
不意に開かれた瞼の下から、青い瞳が垣間見える。思いのほか、気だるげに弛緩していた。
「おまえ、今まで何人の女と寝た?」
今度はGの方が目を閉じ、大きく息を吐き出した。
「そうだな。6人」
「何人か忘れてるとしても、大したことないな」
鼻を鳴らし、ブルーノマリのローファーで黒いタイルに又一つ擦り傷を作る。不愉快な音に被せる勢いで、Gは抗弁した。
「例え一時的であっても、本気になれない女とは付き合えない」
「堅物め」
「不誠実よりずっとマシだ」
「何事も経験が多いのはいいことさ」
妻の兄を目の前にして臆面もなく言い放つ図太さには慣れたつもりだったが、やはり眉根がよってしまう。
ようやく張り詰めていた表情が緩み始め、Lの目元に皺がよる。
「もっと遊べばいい。女と付き合うこと、これが人間を知る一番の方法だぞ。眼が肥えたら、寄って来る女の質も上がってくるしな」
「よく言うよ」
「いや、本当だ。前から思ってたんだが、お前の女の趣味はひどすぎる。男に逃げられたパートタイマーに、胡散臭いコールガールに、暗い奴ばっかり」
「同情」
ざわめく胸のうちをしっかりと噛み締めながら、Gは言った。
「同情するんだよ」
Lの顔を見返すことが出来ない。念入りに作ったポーカーフェイスの中、唯一隠すことの出来ない瞳の揺れを隠すためには、メールをそのまま印刷した用紙の一番下、わけのわからない通信販売の広告バナーを見つめるしかなかった。
作品名:しっぽ物語 10.青ひげ 作家名:セールス・マン