鈴~れい~・其の二
嘉利の愛撫は執拗で、容赦がない。ひと晩中、責め立てられ、朝には立てないほど苛まれることも再々であった。それでも、嘉利の意に従わなければならず、嘉利の命ずるがままに脚をひらかなければならない。どんなに恥ずかしい姿態をするようにと言われても、屈辱的なことをさせられても、厭とは言えないのだ。
嘉利に触れられる度、お亀は自分が穢れてゆくような気がしてならない。身体だけでなく心までがどす黒く濁り、穢れてしまってゆくような。男に嬲り尽くされ、慰みものにされる自分が厭で情けなくて、気が狂いそうになる時、この鈴の音を聞くと、少しだけ心が軽やかなる。
昨夜も嘉利が褥に仰向けになった自分の上に跨れと命じた。
全裸で横たわる男を前に、お亀は泣いて厭がった。
自分は遊び女ではないのだ。
そう訴えると、嘉利は馬鹿にしたように言った。
―そちは、俺の側妾ではないか。それに、側妾であろうが、遊び女であろうが、たとい妻であろうとも、世の女のすることは皆、同じだ。それとも、そちは、俺の妻になりたいのか?
結局、お亀は嘉利の命に従わざるを得なかった。
恐る恐る男の上に腰を下ろした刹那、男に深々と刺し貫かれ、お亀は思わず呻いた。
―う、あぁっ。
苦痛と快楽の狭間に追い込まれたような感覚が男と繋がった部分から、徐々に身体中にひろがってゆく。
お亀が両手を男の胸についた格好で、その得体の知れぬ初めての感覚に翻弄されている時、嘉利は恍惚とした表情でお亀を眺めていた。
思わず苦悶に眉を寄せ、身をのけぞらせた女のふくよかな乳房が口許に近付くと、女を跨らせた男は即座にその尖った桃色の先端を口に含んだ。
乳房を口で愛撫され、下からは烈しく突き上げられ、お亀はたまらず声を上げた。
それが快感なのか、それとも苦痛なのかは自分自身にさえ判らない不思議な感覚であった。
自分は明らかにおかしい。嘉利と夜を過ごす度に、自分が自分ではなくなっているような気がして、お亀は無性に怖くてならなかった。
このままでは、自分はいつか本当に娼婦のような、膚を売る遊び女のような淫らな女になってしまうのではないか。そう考えると、怖ろしさに気が狂いそうになる。
嘉利の愛撫は巧みであった。女の身体を知り尽くした男にかかれば、全く男を知らぬお亀の身体などひとたまりもなかった。
また、嘉利自身、これまで生娘しか相手にしてこなかったため、お亀を女として成熟させることに新たな悦楽を見い出したらしい。
要するに、初な生娘を自分好みの女に作り上げてゆくことが珍しいのだろう。
その意味で、嘉利はお亀の身体に溺れ切っているともいえた。
今になって、お亀はひと月前の夜、何故、自分が初めて男を受け容れるのかどうかということに嘉利があれほど拘り、生娘であると知ると歓んでいたのか納得できた。
嘉利に抱かれる度に、穢れゆくのは身体だけではない、心も同じだ。
むしろ、身体だけは好き放題にされても、心は毅然として男を拒み切ることができれば、こんなに苦しむことはないはずだ。
嘉利のことは憎いし、大嫌いなことに変わりはないけれど、嘉利と過ごす夜に身体と心は鋭敏に反応し、順応してゆく。
知らぬ中に、涙がつうっとひとすじ頬を流れ落ちた。
「何を泣いている?」
ふと背後で声が聞こえ、お亀は身を強ばらせた。慌てて鈴を帯の間に押し込む。
お香代の形見の鈴を見ると、嘉利の機嫌が悪くなる。あんな情けや良心のかけらもないような男でも、やはり自分が手込めにし、死に追いやった女のことを思い出す度に、罪の意識を憶えるのだろうか。
それとも、見せつけるように自害して果てた女を思い出し、腹立たしい想いになるのだろうか。
とにかく鈴を持っているところを見つかれば、取り上げられてしまうだろうから、絶対に嘉利に見つかりたくはない。
お亀は小さくかぶりを振ると、立ち上がった。
「庭を見ておりました」
消え入るような声で応えると、また、うつむく。
「なるほど、紫陽花か」
嘉利が納得したように頷いた。背後から近寄ってくる脚音に、知らず身が縮まる。
身体中の膚が粟立つような嫌悪感ともつかぬ、恐怖感を憶えずにはいられなかった。
これほど嫌いな男のはずなのに、夜、閨の中で膚を合わせている最中は、それほど違和感や抵抗がなくなってきている。お亀には―それが何より怖ろしかった。そんな我が身が怖かった。
お亀の居室からは庭が一望できる。小さな庭だが、四季折々の花が植わっており、初夏の今は紫陽花が蒼色の花をかすかに色づかせていた。
梅雨入りもまだとて、空は晴れ渡り、日中は部屋内でじっとしていても、汗ばむほどの陽気だ。
お亀は踵を返そうとした。
花を見ていたというのはその場を言い繕う言い訳に過ぎない。ただ考え事に耽っていただけのことなのだ。だが、何を考えていたと問いつめられたくはなかったので、適当な出任せを言った。
と、続いて向こうから歩いてこようとした嘉利の脚許を見、お亀は声を上げた。
「あっ」
流石に嘉利が愕いたように立ち止まり、お亀を見る。
「一体どうしたというのだ、急に大きな声を出せば、愕くではないか」
「申し訳ございませぬ」
お亀は蒼褪めた。
「でも、お脚許に露草が」
お亀は詫びながらも、小腰を屈めて嘉利の脚許の小さな花を愛おしげに見つめた。
「そなたらしいな。かような小さな草花がそのように気に入ったのか」
嘉利が呆れたような顔で言い、ひょいとしゃがんだ。
「どれ、そんなに気に入ったのなら、持ち帰って部屋に活ければ良い」
思わず手を伸ばして摘み取ろうとするのに、お亀はまた大きな声を上げていた。
「お待ち下さいませ。花も―生きているのでございます。このままにしておけば、あと何日かはきれいな花を咲かせることができますが、摘んでしまえば、すぐに萎れてしまうことでしょう。お願いでございますから、このままに」
言った後で、しまったと後悔する。
嘉利は差し出た口をきくことを嫌うのだ。
きっとまた機嫌を損じてしまうだろう。
そんな日は、閨の中での嘉利は殊更荒々しく、容赦なくなるのは決まっている。また、今夜はどのような目に遭うのかと想像しだけで、うっすらと眼に涙が滲んだ。
「もう、良い」
案の定、嘉利は黙り込み、憮然としてそのまま立ち去っていった。
お亀は泣きたい気持ちで、その場に一人、取り残された。
まだ色のうつろわぬ紫陽花がひっそりと花開いている。お亀は涙の滲んだ眼で、星型の小さな花の集まった鞠のような愛らしい花をいつまでも眺めていた。
だが、お亀の不安をよそに、その夜、嘉利からのお召しはなかった。どうやら、別の女が夜伽を仰せつかったらしい。
木檜城の奥向きにはお手付きの腰元が何人かいる。しかし、意外なことに、好色と評判の嘉利には正室はおろか、側室もこれまで一人もいなかったのだ。その事実を知った時、お亀でさえ愕いたほどである。