鈴~れい~・其の二
嫌悪感に泣きながら首を振り、それでも何とか逃れようと懸命に救いを求めるように手をさしのべた。
しばらくやわらかな胸の感触を愉しむかのように揉みしだかれていたかと思うと、突然、薄桃色の頂が口に含まれた。
「いやーっ」
お亀は厭々をするように烈しく首を振った。
―私、いやなのに。いやなのに、どうして―?
幾ら厭だと訴えても、この男は最初からお亀の訴えなど耳にも入らないようだ。
自分は大切な人たちを―お香代と小五郎の敵を討とうと城に乗り込んできたはずなのに。
なのに、何で、その自分がこうしてこの男に無体なふるまいをされねばならない?
「止めてったら、止めて。お願いだから、殺して。こんなことをするくらいなら、殺して」
こんな目に遭うのなら、死んだ方が良い。死んだ方がよほどマシだ。
お亀は今初めて、お香代の気持ちが判るような気がした。
いきなり見も知らぬ男に森で押し倒され、お香代もこんな辛い想いをしたのだ。
―でも、何で、私も。
「ひと思いに殺して」
哀願するお亀を、嘉利が面白そうに眺めて言う。
「そなたは殺さぬ。このような良き身体を持つ女をあっさりと殺しはせぬ。生意気なところは気に入らぬが、それもまたおいおい調教し、大人しくさせるのも愉しかろう」
こんな想いをこれからもするなんて、絶対にいや!!
お亀が舌を噛み切ろうとしたその時、顔を覗き込んだ嘉利が片頬を歪めた。
「申しきかせておくが、そちは死んではならぬぞ。もし、そちが自害でも致せば、そちの家族や―親類縁者、そうだな、死んだ女の亭主もろとも八つ裂きにしてやろう」
「そんな、酷い」
お亀が涙ぐむと、嘉利は嗤った。
「そちが酷いことをさせねば良いだけのことよ。そちさえ大人しく俺に抱かれれば、何も起こらぬ」
「私、何も悪いことをしたわけでもないのに」
どうして、自分がここまでこんな男にいたぶられ、嬲られねばならないのだろう。しかも死ぬことさえ許されず、辱めを受けなければならないなんて。
「このような可愛い獲物が自分から俺のところに飛び込んでくるのが悪い。つまり、そちが悪いのだ」
再び胸に覆い被さってきた男の頭が、涙で滲んだ。
男の生温い口が、乳房をくわえ、舌が薄桃色の先端を弄ぶように口の中でころがす。
たまらない厭わしさが身体中を駆け抜けた。乳房を夢中で吸う男の頭を涙でぼやけた眼で見つめながら、お亀はふと袖の中で小さな音が聞こえたことで我に返った。
チリチリと涼やかな音色がかすかに響いてくる。
お亀は夢中で袖に手を差し入れ、鈴を取り出した。死に物狂いで手に持ったそれを振ると、鈴は愛らしい音を立てる。
チリチリ、チリチリリン。
―お香代ちゃんッ、助けて! 私、いやなの。こんな男の慰みものになんて、なりたくない。
お香代には唯一許された死すら、自分には望めない。この卑劣な男に、もし自分が生命を絶てば、大切な人たちを惨殺すると脅されたのだ。もとより、お亀の両親は亡くなっている。しかし、父親の跡を継いで村長となっている従兄やその妻子、お香代の良人小五郎の存在もある。
そんな人たちの生命までをも楯に取られれば、お亀には逆らうすべもないのだ。
お亀は亡き親友に心の中で助けを求めながら、懸命に鈴を振り続けた。
その時、お亀に覆い被さっていた嘉利が苛立った声で叫んだ。
「ええいッ、煩い」
それでもなお、お亀が鈴を振ろうとすると、嘉利が甲走った声で怒鳴った。
「何だ、煩い」
嘉利がお亀の手から有無を言わさず鈴を取り上げる。
「あ、返して」
お亀は手を伸ばして取り返そうとしたけれど、嘉利が舌打ちをきかせた。
「この鈴は、あの女が帯飾りにしていたものではないか。ええい、薄気味の悪い。死んだ女の持っていた鈴を何ゆえ、そなたが持っているのだ」
〝こんなもの〟と、嘉利が取り上げた鈴を放り投げた。鈴はチリリと音を立てて、畳に転がる。
「返して、返して下さい。あれは、お香代ちゃんの形見の鈴なのに。返して、返してよ」
お亀が身を起こそうとすると、嘉利にすぐに押し戻された。
「何をするのっ、いやっ」
お亀は泣きながら暴れた。
「全っく、往生際の悪い女だ」
嘉利が笑うと、お亀の身体を軽々と抱き上げた。
「さ、ゆるりと可愛がってやろうほどに、良い加減に大人しく致せ」
耳許で囁かれ、抱き上げられたまま運ばれてゆく。
嘉利は次の間に続く襖を無造作に開けた。
どうやら、この部屋はふた間続きになっているようだ。次の間は行灯の明かりがぼんやりと火影を投げかけているだけで、薄暗かった。ぼんやりとした部屋の中央に、錦の夜具が二つ整然と並んでいる。
その光景を眼にした途端、お亀から悲痛な悲鳴が洩れた。
「あ―」
今、漸く判った。自分は殺されるために、ここに連れてこられたのではない。この男の慰みものにされるために連れてこられたのだ。
「いやっ、放して」
渾身の力で暴れるお亀を、嘉利はぞんざいに褥に放った。お亀の身体は、これまで使ったこともないふかふかとした褥に受け止められる。そのせいで、乱暴に扱われた割には身体を打ち付けることもなかった。
「いやっ、お香代ちゃん。助けて、助けてえ」
お亀は泣いて手を差しのべた。
「あの女の名など呼ぶな。死人の名前なぞ今更聞きとうもないわ」
吐き捨てるように言った嘉利が、お亀の夜着を荒々しく引き裂いた。
「―いやっ!!」
お亀の唇から絶望的な声が零れ落ちた。
その唇を嘉利がすかさず塞ぐ。
貪るような、呼吸すら奪うような口づけが辛くて首を烈しく動かしたけれど、深い口づけは延々と執拗に続いた。
お亀のきつく瞑った眼から大粒の涙が次々に溢れ、したたり落ちる。
唇を深く結び合わせながら、嘉利は手慣れた様子でお亀の帯を解いていった。
身体中を這い回る男の手や唇を感じながら、お亀は大粒の涙を零し続けた。
露草
~呼応(こおう)~
お亀は先刻から、庭にずっと立ち尽くしていた。
もうかれこれ四半刻にはなるだろうか。
お亀に与えられたのは木檜城の奥御殿の一角―、お亀がひと月前の夜、初めて藩主嘉利に抱かれたあの部屋であった。どうやら、あのふた間続きの座敷がそのままお亀の居室になったというよりは、元からそうであったらしい。
よくよく見れば、いかにも女性の住まいらしく瀟洒な飾り付けがされており、美々しい蒔絵の調度品なども備え付けられている。
お亀は帯の間に挟んである鈴をそっと捕り出した。ひと月前、嘉利に取り上げられ、投げ捨てられてしまったが、朝、嘉利が表へ帰った後、すぐに拾って大切に持っていたのだ。
これは、小五郎から託されたものであり、亡き友のたった一つの形見、お香代を偲ぶよすがであった。
お亀は鈴を耳許で小さく揺らす。
チリチリと愛らしい音色を聞く度に、心が洗い流されてゆくような心もちがするのだった。
我が身が厭わしいと思う。夜毎、嘉利は寝所を訪れ、お亀を抱く。どれほど気に入った女でも、数日ごと、しかも二、三度閨に召せばおしまいと云われる嘉利が何を思ったか、お亀だけは側から放さなかった。