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鈴~れい~・其の一

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 小五郎が深々と頭を垂れた。
 来たときと同様、ひっそりと去ってゆく男の背を、お亀は暗澹たる想いで見つめた。
 一人の女の身体だけではなく、運命をも弄んだ非道な藩主は、その女の良人までをも己れの気違いじみた気紛れただそれだけのためにその毒牙にかけようとしている。
 人の運命を弄び、生命を双六の駒のように動かして、何が愉しいのか。そのようなことは、たとえ神仏でも許されることではない。
 その人の運命も生命も、その人だけのものだ。
 許せない。
 お亀はふつふつと燃え上がる怒りの焔を瞳に宿し、虚空を見つめた。
 小五郎は柳井道場を畳み、城下の知り合いの許に身を寄せるという。恩義ある先代道場主柳井幹之進の後を継いで、まだ二十一歳の若さながらも道場主として大勢の門弟から慕われていた小五郎。
 小五郎の妻となり、子の誕生をひたすら待ち侘びていたお香代。お亀の大切な二人の人生を、悪逆非道な藩主が滅茶苦茶にしたのだ。
―気の触れた藩主が人の生命や運命を駒のように弄ぶというのなら、私がその気違い殿さまの生命を奪ってやる。
 小五郎とお香代の運命を狂わせた藩主を到底許してはおけない。
 我に返った時、既に小五郎の姿は見当たらなかった。将来を嘱望されていた一人の若者は、ひっそりと外にひろがる闇の中に消えていった。
 彼のこれから歩む道は、今夜のような闇に塗り込められたものに相違ない。二度と陽の当たる場所には出られぬ身となり、世間からは隔絶された世界へと追いやられたのだ。それは、生きながら葬られたも同然だった。恐らく、今も小五郎は月もない闇夜をひたすら歩いているのだろう。
 大切な友だけではなく、その友の良人さえも―。
 畜生公と呼ばれる悪名高い藩主の犠牲となったのだ。
 許せないと、もう一度、お亀は唇を噛みしめ、前方を睨み据えた。


 恋の始まり
   ~辿逢(たどりあう)~

 しんと水を打ったような静寂の中、そこに居並ぶすべての人々の視線がある一人に釘付けになっている。
 あまたの好奇と注目を一身に集め、少年は瞳を瞑ったまま、静かに跪く。まずは、はるか前方、特別にしつらえられた御座所に座る藩主に向かって拝礼。更に藩主を取り巻く家老矢並(やなみ)頼母(たのも)ら初め重臣たちにも軽く目礼し、改めて向かい合う挑戦者に頭を下げた。
「それでは、勝負を始める」
 審判役と勝負の結果を見届ける役目を担うのは、藩主木檜嘉利の懐刀とも云われる尾野晋三郎である。
「両者、始められよ」
 晋三郎の言葉を合図とするかのように、少し離れて対峙する両者がすっと立ち上がった。
 勝負は真剣を用いることが慣わしとなっている。優勝を決める決勝戦の前、つまり準決勝までは木刀を用いるが、最後のこの藩主御前で行われる試合だけは、代々、真剣が使われてきた。十年に一度木檜藩をあげて大々的に行われるこの試合は、木檜藩ではちょっとした出来事である。
 何せよ、この泰平の世で名もない者が出世を遂げ、藩主のお眼に止まるには、このような御前試合で勝ち抜くことは何にも勝る好機といえた。
 もっとも、現在の藩主木檜嘉利は十四歳で藩主の座についてからというもの、忌まわしき噂が後を絶たない〝畜生公〟であり、この藩主の前で栄えある優勝を遂げたからといって、別段何が変わるとも思えない。かえって目立つことで、畜生公と呼ばれる藩主に睨まれ試し切りの標的にでもされたら、たまったものではない。
 というわけで、前回の御前試合のときよりは応募者も格段に少なく、盛り上がりにも欠けている。木檜藩は二万石の小藩ではあるが、実際の石高は数万石ともいわれ、よく肥え水にも恵まれた豊かな土地柄は実りも多く、内証は豊かだと囁かれている。その藩内の地方毎にまずは予選が行われ、そこで勝ち抜いた者たちが中央、つまり城下で行われる本試合に進むことになるのだ。
 前回は、まだ先代藩主嘉倫(よしみち)公のときに行われ、三十一歳の嘉倫公は英邁な君主として知られ、善政を敷いた中興の祖として多くの領民からも慕われていた。身分の低い者でも才あれば積極的に登用し、御前試合にも殊に力を入れられた。
 この際の応募総数は実に千人近くを数えたと云われている。この回に限り、武士だけではなく農民にまで出場資格が認められたため、小さな農村からでさえ応募者の若者がいたそうだ。嘉倫公が前回、前々回と二回に渡ってその御世に御前試合を行っているが、実際にこの御前試合で良き成績を挙げ、取り立てられた者たちの中には軽輩の子弟や農民出身者もいた。
 前回の御前試合の際、嫡子為千代君はまだ前髪立ちの童姿であった。幼名為千代こと現藩主嘉利公が父嘉倫公の突然の死によって急きょ家督を継いだのがその翌年のことである。前回の時、嘉利公は十三歳の少年であった。
 こたびの試合は嘉利が藩主となってから初めての御前試合でもある。が、その割には悪名高き藩主の御前で闘いたいと願う者はいないせいか、前評判からして芳しくはなかった。
 応募者も十年前と比べると半数にも満たず、むろん、農民には出場など認めてはいない。それでも四百名近い応募者たちの中で勝ち抜き、この晴れの日を迎えた二人の勇者たちが今、ここに立っている。
 一方は門屋(かどや)陣(じん)右衛門(えもん)良房(よしふさ)。名前からして、何やらいかにも剛の者らしい、いかめしい名前だが、つい先日あれほど多くの門弟を抱えながら突如として閉門した柳井道場の出身者である。
 柳井道場のこの閉鎖は、誰しもが仰天した。何しろ、先代道場主柳井幹之進は前々回の御前試合の優勝者であり、歴代優勝者の中でもとりわけ名の残る、いわば伝説の勇者であった。出世を望まぬ清廉潔白な人柄、多額の報奨金も藩主指南役の栄誉もすべてをなげうって辞退し、一生を後進の指導に捧げた剣聖としてその名を語られている人物なのだ。
 そして、その跡を継いだ道場主柳井小五郎は、まだ二十一歳の若さながらも多くの門弟たちから〝若先生〟と慕われ、剣の腕、その誠実な曇りのない人柄はかつての幹之進に勝るとも劣らぬとさえ囁かれていた。たくさんの門弟を抱え、多くの名だたる剣豪を輩出した柳井道場が何ゆえ、こうも突然に閉鎖を余儀なくされたのか。その理由については依然として知る者はなかった。
 柳井幹之進の死は惜しまれたものの、跡を継いだ新道場主の養子小五郎は名門道場を率いる新しい道場主として誰もが認めるところであった。幹之進が道場主であった頃から通っていた古株の門弟たちも変わらず小五郎に師としての礼を誓い、通ってきたという。
 小五郎を新しい道場主として柳井道場はますます繁栄、隆盛の一途を辿るばかりであったというのに、一体、若い道場主の心境に何の変化が起こったのか。
 小五郎はある日突然、兄である師範代相田久磨にさえ何も告げず、道場から姿を消してしまったのである。小五郎ほどの男が理由もなく責任ある道場主という立場を放り出し、出奔するはずがない。彼をよく知る門弟たちは怒るどころか、逆にそのゆく方をいたく案じていた。そんなところにも、小五郎の日頃からの人となりがよく表れている。彼がいかに門弟たちからの信頼を得ていたか知れるというものだ。
作品名:鈴~れい~・其の一 作家名:東 めぐみ