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鈴~れい~・其の一

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 父が亡くなってからの母は、まるで魂をあの世に半分持っていかれてしまったかのようで、二年前にとうとう母までも失ったときはむろん哀しかったけれど、これで母は漸く父の許に逝けたのだと思えば、お亀は心のどこかでホッとするのも否めなかった。父が亡くなってからの母は、それほどに傍で見ている者の方が辛いほどに傷心の日々を送っていた。
 もちろん、お亀も母の気を引き立てるように色々と心配りをしたのだが、母の眼には最早、娘ばかりか、何も現実の景色は映っておらず、ただ亡くなった父の面影だけが映じているようであった。
 そして、お亀にとっては、幼なじみでもあり、今でもかけがえのなき親友であるお香代とその良人柳井小五郎。この二人もまた、亡き両親に勝るとも劣らぬ仲睦まじい夫婦である。
 物心つくかつかぬ頃から十を幾つか過ぎるまで、お亀は夏になると、城下の伯父の家に泊まりがけで遊びにゆくのが日課であった。お香代は柳井の屋敷で下男を務めていた壱助という老人の孫であり、早くにふた親を亡くしたといっていた。その頃から既に伯父はお香代の利発さや機転の利く気性を気に入っている風だった。
 夏になって柳井の屋敷に遊びにゆく度に、お香代とお亀は二人で遊んだものだ。あやとりや人形遊びやままごと。少女らしい他愛のない遊びを一日中していても、飽きることがなかった。
 後にお香代の伴侶となる相田小五郎は、既にその頃、伯父が道場主を務める柳井道場に通っていた。何でもわずか五歳で伯父にその将来性を認められ、門弟として弟子入りしたのだという。小五郎はお香代とお亀よりは三つ上で、寡黙な少年という印象を受けた。いつも物静かにしていて、だからといって無愛想とか人付き合いが悪いというわけではない。むしろ、人当たりも良く、同年者たちからも年配者からも受けの良いという珍しい子どもだった。
 通常、大人から気に入られる類の子どもは、同じ子どもからは嫌われたり眼の仇にされることが多いものだが、小五郎は不思議なことに、生来、誰をも味方につけることのできる不思議な力を持っているようだった。自分たちよりわずかに三つ上なだけというのが信じられぬほど老成した雰囲気は、だが、お亀にはむしろ痛々しく感じられた。
 大人ばかりの中で、無理をしているというわけでもなく、少しの物怖じもせずに堂々として存在している。控えめでありながら、どこか目立ち、圧倒的な存在感を醸し出す。堂々としていても、当人が無理をしたり肩肘張って大人ぶっているわけでもない。それなのに、分別くさい顔で座っている小五郎が、お亀には何故か痛々しくてならなかった。
 今から思えば、小五郎が子どもらしい無邪気な笑みを浮かべているところを、お亀は一度として見たことがない。笑ってはいても、いつも何かを悟ったような、諦めたような物静かな笑みをゆったりと浮かべているだけだった。多分、あの子どもらしくない笑顔が、〝痛い〟と感じてしまったのだろう。あの笑顔は、けして心から弾けるように笑ったものではなかったからだ。
 物静かな少年であった小五郎と、お亀やお香代たちの接点は少なくとも、その時点ではまだなかった。もっとも、お亀が伯父の許で過ごすのは、夏のひと月ほどにすぎず、平素からずっと伯父の許にいたお香代は、道場に通ってくる小五郎と顔を合わせることはしょっ中だったろう。
 十三、四になってから、お亀も大きくなり、夏に伯父の家に遊びにゆくこともなくなった。そして、お香代が正式に伯父の養女になったのもその頃のことだ。それから一、二年の間に、お香代と小五郎の間は急速に接近したらしい。長らく便りのなかった友から、小五郎と祝言を挙げることになったと知らされたのは、伯父の家に行かなくなってから二年ほど後のことだ。
 実は、お香代が小五郎にあの頃からひそかに想いを寄せていたことを、お亀は知っていた。他ならぬお香代から打ち明けられたのである。それゆえ、お香代の一途な恋が実り、晴れて惚れた男と結ばれることを心から歓んだ。祝言にこそ行けなかったけれど、すぐにお祝いの文と、心を込めて選んだ蒔絵の櫛―つがいの鶴が舞う朱塗りのそれは、村に一軒しかない小間物屋で買った―を送った。
 が。友の初恋が実った日は、お亀のほのかな思慕がうたかのごとく潰えた瞬間でもあったのである。何しろ、もう五年も前のことだ。しかも、まだ恋の何たるかも自覚できぬ十三の少女のことゆえ、その頃、我が身が真に小五郎に惚れていたのかどうか、今となっては、はきとは判らない。
 ただ、お香代から小五郎への恋心を打ち明けられたあの日。何か己れの心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったような心もちがしたことだけは確かだ。もしかしたら、あれは淋しさのせいだったのかもしれない。お亀の心は小五郎という存在を失い、その存在を失った穴に淋しさという名の風が吹き抜けた―。
 だが、お亀の想いは本当にごく淡いものであったし、お香代が小五郎に見せるひたむきなまでの恋心とは比べようもなかった。それに、小五郎だって、月とスッポンの二人のどちらを選ぶかと問われれば、間違いなくお香代を選ぶだろう。お亀のような娘が所詮はお香代に太刀打ちできるはずもなく、同じ土俵で勝負しようと考えることさえ笑い話にされてしまうか、呆れられるのが関の山。むしろ、この想いは口になどせず、闇から闇へとひっそりと忘れられる方がよほど良いのだ。
 お亀はそう思ってきた。
 祝言を挙げてから、お香代からは時折、思い出したように文が届いた。どれもが若妻となったお香代の恥じらいや、二人の仲睦まじさを綴っており、人によってはその内容を当てつけがましいとか、恥も外聞もなくのろけて―と非難したりやっかんだりするのかもしれなかったが、お亀は、そんなことはなかった。
 元来、実の親にでさえ呆れられるほどのお人好しなのだ。ただ、友からの文を読み、その幸せな日々に安堵し、共に歓んだ。―本当にそれだけのことだった。
 たまに届く文によれば、お香代は結婚後もなかなか子ができないのを気にしているようだった。こんな場合、一体何と言えば良いのか、お亀には判らない。何と言っても、お亀自身がまだ人の妻ではないのだし、安易に慰めの言葉を書いても、〝他人の気も知らないで〟と思われてしまうかもしれない。
 ゆえに、お亀は、このことについては、ただお香代の不安や愚痴を受け止めるだけにとどめた。
 井戸端に寄り添い合うようにして立つ二本の樹は、既に亡くなった両親や、お香代と小五郎の姿を彷彿とさせる。確かにいまだに独り身なのを淋しいと思わないわけではなかったけれど―、自分は不器量だし気働きもないからと諦めてもいたし、そんな自分でもいずれ縁があれば嫁ぐこともあるかもしれないと安気に構えてもいた。
 今朝、お亀は我が眼を疑った。昨日の朝、紅い花が一輪、確かに花開いていたはずなのに、今朝はもう落ちているのだ。椿の花が花ごと落ちるのは別段珍しいことではない。しかし、その落ち方があまりにも不吉というか、無惨だった。鳥にでも喰われてしまったのか、転がり落ちた花のあちこちがついばまれたようにむしられ、無数の花びらが地面に散っていた。
作品名:鈴~れい~・其の一 作家名:東 めぐみ