打算的になりきれなかった一週間
第十一章 大人の事情、子供の事情
親戚が農協の幹部である唯は、6歳の頃から婚約者が決まっていた。北海道の
豪農の跡取りだという。中学の時親が話してるのを聞いてしまって、
同じ地に住む中多翔大という少年に興味を抱くようになった。同じ高校を
受験したのも、それがきっかけだ。
「騙すつもりは無かったの。ただ、どうしても言い出せなくて……」
涙を浮かべる唯の言葉を翔大は遮る。
「尾上、話は後にしよう。俺たち帰らないと」
「ちょっ、警察はどうするのよ!」
翔大は自分の携帯に例の画像をメールで送ると、中多先輩の携帯の電源を切った。
「裕美、悪いが明日は学校を休んでくれ。家から一歩も出るな。葬儀を済ませたら
すぐ帰ってくる。……家までは送るよ。危険だ」
「うん……」
有無を言わせない口調に、私は頷く。
早足で無言で前を歩く翔大と唯。二人の間に、切り離せないような重みを
感じて、私はただ俯き歩いた。
並木道の桜はもうおおかた散っていた。
「ごめんね、中多君」
尾上はそう言って駅の前で俯く。尾上は電車で1時間かけて登校しているのだ。
「別に怒ってないよ。そう簡単に言えるもんじゃないし」
そう言いながら感情は複雑だ。それは尾上にも分かっているのだろう。
かすかに歪んだ笑みを浮かべると
「……ありがとう。じゃあ、また後でね」
手を振る。俺はすぐに自転車に乗った。帰らなければ。
弘道おじさんが死んだ。それは経営者が死んだことを意味する。もしかしたら、
尾上はともかく俺はこのまま高校を辞めさせられるかも知れない。
いや。俺は首を横に振る。
絶対に戻ってくる。戻ってきて寿絵を傷つけた坂口艶子を告発する。そして。
------あと二日の、青春を謳歌してやる。
絶対に。
ここで踏ん張らなければ、俺は一生後悔するだろう。
家に戻ると遅いと怒られたが、それどころじゃないらしい。荷物は既に
まとめてあった。そのまま飛行機で北海道に飛ぶ。
北海道はまだ寒くて、飛行機の中との寒暖差に、風邪引くんじゃないわよ、
と母が上着をかけてくれた。
相変わらず、広大な農地に囲まれた大きな家だった。俺が子供の頃木造建築だった
家は老朽化したとのことで、今は近代的な洋風の家に変わっていた。車を
駐車場に着けると、ちょうどやってきた白のカローラがあった。中から
見慣れたセーラー服の少女と、その両親らしき男女が降りてくる。
「尾上さん! まあまあ唯ちゃんも、大きくなって!」
頭を下げる尾上の両親を前に、母は相好を崩す。俺の背中を叩いた。
「ほらあんた、覚えて無い? 4歳の夏休みに良く遊んだでもらったでしょう?」
初耳だ。
「それは覚えて無いよ……でも、同じ漫研部だから」
「あら」
「お久しぶりです、おばさま。中多君とは同じ部活で仲良くしてもらってます」
尾上がぺこりと頭を下げる。
「あらあら、ありがとうね。こんな調子の子だから迷惑かけるでしょうけど。
……ちょっと。私聞いて無いわよ」
「いちいち言わないよ、部活に誰がいるかなんて」
「あんたは本当に愛想のない子ねえ。ああ、立ち話も何ですから、
入りましょう」
家に入ってすぐが玄関じゃない。それは、よく手入れの行き届いた庭を見せるのが
目的なんじゃないかと思う。普段都会の小さな家に住んでいる身の上としては
こんなでかい家の跡取りだなんて言われても少し実感が沸かない。
入るとまた挨拶があって、俺たちは挨拶しながら客間へと通された。弘道伯父さんは、
の言葉に、家の者は沈痛な面持ちを見せる。
「攪拌機の中に落ちて……あっという間に……遺体は見せられない……」
薄情なことにそんな言葉をぼんやりと聞きながら、俺の、本当にこれで良いのだろうか、
という思いは徐々に強まって来ていた。
人生は一度きりしかない。やり直しがきかない。
大人の敷いたレールに載せられて、婚約者まで決められて、これで本当に
良いのだろうか?
それに……それは、尾上だって同じなのだ。俺は……。
俺は、裕美を好きになりかけている。
はっきりと、そう自覚した。
だから、裕美も裕美の友達も、傷つける訳にはいかない……!
弘道伯父さんの妻の洋子伯母さん(父の姉)は、俺の前に立つと、畳に頭を
こすりつけんばかりに下げた。
「翔大君、お願いがあるの。北海道に来て、この家を守って。
私たちは子供に恵まれなかった。いえ、男の直系のあなたが、
ここを正式に継ぐ権利があるの」
言って仰々しい書類を俺に差し出した。家の……権利書。
「義姉さん、翔大はまだ高校生なんですよ!?」
「そうだ。高校を辞めさせるのは反対だ」
父母の声に後押しされるように、俺は首を横に振る。
「それは出来ません。俺は……高校を卒業します」
「翔大君」
すがるようなまなざしに、俺は固い声で言う。
「ご心配なさらなくても、家は継ぎます。けれど、高校には行きます。行かせてください。
それに……俺は尾上とは結婚しません」
「知っていたの」
「本人から聞きました。俺には付き合ってる彼女がいます。その子を裏切りたくない」
そう。そう、寿絵の時も言えたら。……こんな事には。
洋子伯母さんは厳しい顔で言う。
「あのね。高校生の恋愛なんて、おままごとみたいなものよ? こんな大きな
家の奥さんに収まるなら、それ相応の教育を受けたお嬢さんでないとね、みんなが困るの」
「結婚するかどうかは……分かりません。けれど、『今』僕はあの子に誠実で
ありたい。日々誠実であれ、とは弘道伯父さんが教えてくれたことです」
都合の良いときに俺を出すな、と怒るかも知れない。伯父さんなら。
けれどそれは、俺の精一杯の言葉だった。
「高校進学のお金は、いつか必ず働いてお返しします」
「翔大君、そんなはした金のことを言ってるんじゃないわ。
今まで夫が跡を継いでやってきた。だけど、それももう終わりよ。
跡取りをすぐに据えないと、権利や資産を狙う人が集まってきて大変なことになるの。
それに、相続税のこともあるわ」
「……」
「ね、分かるでしょう? 高校ならここにもあるわ。婚約者の話は
先延ばしにしても良い。けれど、あなたに跡を継いでもらわないと困る人が
たくさん出るの」
そう言われると弱い。けれど、ここは何としても戦わなければ。
「まま、姉さんも翔大も落ち着いて。……何もいきなり、
この場で決めることは無いじゃないか」
「あなたは黙ってて。誰が原因だと思ってるの!?」
父の言葉を、洋子伯母さんはぴしゃっとはねつける。相当恨まれているようで、
無理もない。
「自分は都会で奥さんとぬくぬくと暮らして。男の子までもうけて。
私と夫がどんだけ苦労したかあんたに分かる? 不肖の弟は持つわ、子供が出来ないわ。
……それでも頑張って来たのに、最後は立ち去るしか無いなんて」
悔しげに言葉を滲ませる。沈黙が降りた。洋子おばさん、と尾上が優しく
彼女の肩を撫でる。
「大人の事情はあると思います。けれど、私も翔大君も、びっくりしちゃって」
「……」
「少し話をさせてください。二人きりで」
洋子伯母さんは頷く。涙が一筋こぼれ落ちて、慌てて拭う。夫を亡くしたばかりで
あれこれ手続きはあるし、ショック状態なのだろう。俺は気まずい思いで
尾上と席を立った。
作品名:打算的になりきれなかった一週間 作家名:まい子