「哀の川」 第三十一話
マスターは杏子の哀しみを垣間見たような気がした。自分もこの歳で独身だし、過去の嫌な記憶も持っている。強がって生きてきたけれど心のどこかで安らぎを求めていることに変わりは無かった。
「純一君、杏子さんは君を慕っている。僕には痛いほどわかるよ。今夜だけでもずっと傍にいてやってよ。もう男なんだろう?」
「マスター・・・実は・・・」
「純一!言っちゃダメ!言っちゃダメ・・・帰ろう、マスタータクシー呼んで、歩けないから」
程なく車が来た。純一は杏子を乗せて、自分も乗り行き先を告げた。「近くのホテルへお願いします・・・」それは、封印していたものを解く純一の決断だった。耳元で杏子に呟いた。
「今日だけ一緒にいるよ。今日だけね・・・約束だよ」
タクシーは港の見える最近出来たホテルへ入っていった。お金を支払って、純一は担ぐようにして杏子と中へ入っていった。
作品名:「哀の川」 第三十一話 作家名:てっしゅう