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約束~リラの花の咲く頃に~・邂逅編Ⅱ

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「それでは、今、ここで、そなたを私のものにする。さすれば、そなたは、もう二度と元の世界に戻ることはない。そなたも私と同様、共にいることを願っている。そうなのであろう?」
 王が少し力を込めると、莉彩の華奢な身体は王の逞しい腕の中に倒れ込んだ。
「は、放して」
 莉彩は本能的な恐怖を憶え、王の手から逃れようと空いた方の手を振り回して抗った。
「いやっ」
 が、王の力は想像もできないほど強く、莉彩は片手をあっさりと掴まれ、既に拘束されていた手と纏めて固定された。懸命にもがくが、王は楽々と片手で莉彩の両手を掴み、すべての動きを封じ込めている。
 王の手が伸び、莉彩のチョゴリの紐にかかる。
「殿下―、お止め下さいませ」
 莉彩は泣きながら訴えた。
 チョゴリの紐はあっさりと解かれ、王は依然として莉彩の両手を纏めて掴んだまま、空いた方の手でチョゴリを脱がせた。白の下着も続けて剥ぎ取られる。
「あっ」
 莉彩は悲痛な声を上げた。
 白い上衣の下には幾重にも巻いた布が巻かれている。重ねた布は胸の膨らみの下半分ほどしか隠してはいなかった。きつく巻いているので、布が胸を押し上げるような形になり、豊かな乳房や谷間がくっきりと現れている。
 王の視線が莉彩の胸に注がれている。
 そのまなざしが焔のような熱を帯びていた。
 片手が剥き出しの肩に触れてきて、なめらかな雪膚をまるで蝶の羽のように指先でそっとなぞる。
「い、いやっ、怖い」
 莉彩が泣きながら嫌々をするようにかぶりを振ったそのときだった。
 王が小さな溜息をつき、莉彩の肩から手を放した。
「ずっと私と共にこの時代で生きてゆくと、先刻、そなたはそう申したではないか。私に抱かれる覚悟もできてはおらぬのに、私の傍にいたいなどと申すな」
 王は乾いた声音で言い、立ち上がった。
 王が嫌いなのではない。ただ無性に怖かったのだ。莉彩はまだ十六歳の高校生だ。この時代は早婚だったから、莉彩の年齢は立派なまさに適齢期だったのだが、二十一世紀の現代では、十六で結婚する子なんて、滅多といない。
 ましてや、莉彩は三年も付き合ったボーイフレンドの慎吾がいながら、キス一つしたことはなかったのだ。性的なことにいつては知識も経験も豊富な現代っ子らしくない奥手さが王の突然の豹変を受け止めきれなかったのだともいえる。
 三十歳の王が手慣れた様子で押し倒そうとした途端、パニック状態になったとしても、誰がそれを責められたただろう。
 王はそんな彼女の気持ちを読み取ったようだ。
「済まぬ(ミヤナオ)」
 切なく囁く声が、あたかも散りゆく花びらのように静かに空中に漂うのを聞きながら、莉彩は王に背を向けていた。
 背後で扉が少し軋みながら閉まった。
 莉彩はその場に突っ伏して、声を殺して泣いた。
 自分でも、何が哀しくて泣いたのか判らなかった。王を誰よりも好きなのに、拒んでしまったことなのか、それとも、信頼していた男が欲情を露わにして突如として獣のように襲いかかってきたことだったのか―。
 翌朝、一晩中泣き続けた莉彩の両眼は真っ赤に腫れていた。

 その翌朝、莉彩は井戸端で洗濯をしていた。現代の日本にいた頃も母の代わりに休日は時々、洗濯をしたことがあったけれど、この時代には当然ながら、全自動洗濯機のようなものがあるはずもない。
 一四〇〇年代において、洗濯は一枚、一枚、棍棒のようなもので叩いて汚れを落としてゆくという実に根気も時間も必要とする仕事なのだ。長時間しゃがみ込んでいると、同じ姿勢を続けることになり、腰が痛くなってくる。それでも、集中して続けてゆくと、確かに汚れが落ちてゆくのは実に気持ちが良い。
 かれこれ一刻余りに渡って洗濯を続けていた莉彩は、小さな吐息をつく。立ち上がると、腰や脚が軋み、悲鳴を上げた。握り拳でトントンと腰を叩きながら、これではまるで八十を過ぎたお婆さんのようだと自分で苦笑いを浮かべた。
「それにしても、洗濯機があるのが当たり前の時代に暮らしてた頃には、たいしてありがたいとも思わなかったけれど、やはり持つべきものは文明の利器なのねぇ」
 独りごちながら、ついでに凝ってしまった肩も叩いてやる。
 この時代の人々に洗濯機を見せてあげる機会があれば、さぞかし愕くに違いない。眼を回して、卒倒するだろう。
―もし現代に戻って、再びここに来ることがあったときには、洗濯機を持ってきたいな。
 莉彩は考えて、またほろ苦く笑った。
 もし、なんてことは多分どころか、絶対にないだろう。まず現代にいつ戻れるかも判らないのだし、たとえ幸運にも戻ることができても、次にこの時代に帰ってこられるかどうかも保証はないのだ。
 そこで、莉彩はハッとした。
 今、自分は何と思った?
 現代に―元々自分がいた両親の待つ現代から、この朝鮮王朝時代に〝帰ってこられる〟かどうかと考えなかったか?
 自分にとっては、現代こそが生きるべき時代であるはずなのに。
 莉彩はその時、悟った。彼女にとっては、もう、二十一世紀の日本は帰るべき場所ではなくなってしまったのだ。〝帰る〟という意識は、目的とする場所が自分にとって、どれだけ大切かを意味する。自分がそこにいるべき場所だと思うからこそ、人は帰巣本能が働くのだ。
 そして、今の莉彩にとって、帰るべき場所は現代の日本ではなく、一四〇〇年代後半の朝鮮になった。そのいちばんの原因は、この時代に愛する男ができてしまったから。この時代に生きる男に恋してしまったからだ。
 しかも、最初は知らなかったとはいえ、好きになった相手は国王だった―。
―私に抱かれる覚悟もできてはおらぬのに、傍にいたいなどと申すな。
 耳奥で昨夜の王の言葉がこだまして、莉彩は暗澹とした想いになった。
 一晩中泣き続けたせいで、眼が腫れぼったい。
 王の言うことは当然だといえた。口で幾ら好きだ、この時代にいたいのだと訴えてみても、いざ王に抱かれる場面になると、莉彩は烈しく抵抗したのだ。
 あの時、傷ついたのは多分、莉彩ではなく王の方だろう。所詮は世間知らずの小娘が口先だけで好きだと言っているのだと思われても仕方ない。
 そう思われても仕方がないとは判っていても、莉彩は哀しかった。
 もしかしたら、昨夜の出来事で王には完全に愛想を尽かされ嫌われてしまったかもしれない。
 それでも、昨夜、あのまま王が思いとどまることなく最後まで進んでいたらと想像しただけで、莉彩は身震いするほど怖かった。
 むろん、二十一世紀に生きる女子高生である莉彩は、基本的な性的知識はある。男女が結ばれる行為というのも頭では理解しているつもりだ。
 だが、単なる知識として持っているものと、それが現実に自分の身に降りかかるとなれば、話は全く違う。いかに莉彩が王を恋い慕っていようと、今の莉彩には到底、王を受け容れる心の準備はできていないのだ。
 そのことで、王の心が莉彩から離れてしまったのだとしても、王を恨むのは筋違いだし、その原因を作ったのは、莉彩本人だろう。
 昨夜のことを思い出しただけで、また新たな涙が湧く。滲んできた涙を手でゴシゴシとこすり、気を取り直して再び洗濯物に取りかかろうとしたそのときのことである。