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約束~リラの花の咲く頃に~・邂逅編Ⅱ

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 王はゆっくりと頷いた。
「そうだ、私が自ら毒を与え、死に追いやったのは、私が生涯の想い人と定めた妻だった―。私と彼女は幼い頃に知り合い、そのまま成長して恋に落ち、結ばれた。私が彼女を側室の一人として迎えるまでには様々な経緯(いきさつ)があったが、私たちの絆は固く、私は彼女との幼い日の約束を守り、彼女を妻にすることができた。それなのに、私は彼女を最後まで信じられなかった」
 王は切なそうな表情で首を振った。
 当時、王は二十歳になったばかり、相手の娘は十八歳だった。名は伊賢花(ユンキョンファ)という。
 父は重臣を務めた両班の家柄で、名家の娘として生まれ育った賢花は野辺にひっそりと花開く白い花のようだった。儚げな美貌に反して意思は強く、たとえ相手が王であれ、己れの意見は堂々と述べる芯の強さがあった。
 王はそんな真っすぐで伸びやかな賢花に惹かれたのだ。
 賢花にとっては姑になる金(キム)大妃は元々、彼女を気に入らなかった。というのも、金大妃が推した娘を王が中殿に迎えたものの、側室の賢花にばかり寵愛が傾き、王が中殿を見向きもしなかったからだ。王が夜を共に過ごすのはいつも伊氏であり、王は内殿(中殿の宮)に脚を向けようともしなかった。
「今から考えれば、若気の至りで、中殿にも酷い仕打ちをしたと思う」
 王はやるせなさそうに呟く。
 中殿は大妃の兄の娘―、つまり血の繋がった姪であったことから、大妃の伊氏に向けられた憎悪はいや増すことになる。
 王が中殿に冷淡だったのは、実は大妃の息がかかっていたということもあったのだが、中殿その人は大妃とは似ても似つかず、大人しく控えめな女性だった。
 結局、王より一つ上の中殿は流産の肥立ち良からず、儚く身罷った。伊氏の死後、わずか二年のことである。折角懐妊しながらも六月(むつき)で胎児は流れ、中殿自身も二十三歳の若さで亡くなった。この悲劇を人々は〝廃妃の呪いだ〟と陰で噂し合った。
 中殿が亡くなる二年前、王の寵愛を一身に集めていた側室伊氏が何と王その人から毒杯を賜るという誰もが驚愕する事件が起きた。その事件の裏で糸を引いていたのが他ならぬ金大妃である。
 大妃は伊氏が町から男を呼び止せ、夜な夜な男を褥に引き入れている―と、伊氏を熱愛する王に毒の科白を流し込んだのだ。
 男は王と伊氏が出逢う前から伊氏の屋敷にいた下男で、伊氏と道ならぬ恋に身を灼いていた。賢花が入宮してからというもの、屋敷を飛び出し消息が判らなくなっていた。
 その男が旅芸人の一座に紛れ、全国を渡り歩いている最中、都に舞い戻ってきた。伊氏がそれを聞きつけ、芸を愉しむという口実で宮廷に一座をしばしば招いては男と逢瀬を繰り返している、と。
 まだ二十歳の王はその言葉に、烈火のごとく怒った。あの頃の王に冷静さの欠片でもあれば、大妃が真実を述べるはずもないと判り切っていたのに、王は大妃の虚言を信じ、泣いて無実を訴える伊氏に服毒死するように命じた。
―殿下、私をどうかお信じ下さいませ。私はは誓って、そのような怖ろしいことは致してはおりませぬ。私が心からお慕い申し上げるのは幼い日、出逢ったその日から今も、殿下ただお一人にございます。どうか、どうか、今一度、私の言葉をお聞き下さいませ。
 あのときの彼女の悲痛な叫びが今も王の心を揺さぶり、引き裂く。
 伊氏は与えられた毒を従容として呑み、亡くなった。まだ十八歳だった。
―真実と私の真心は、国王殿下ただお一人がご存じにございます。
 と、そのひと言を残して。
 その後、伊氏に与えられていた淑儀の位階は剥奪され、彼女は〝伊廃妃〟と呼ばれる。無念の中に死んだ伊氏の呪いが二年後の中殿の流産と死に繋がった―と、誰もが口にこそ出さないが、心の中では信じていた。
 あれから十年の時が流れ、当時、後宮だけでなく宮殿を震撼とさせた事件は忘れ去られた。最早、十年も前に服毒死した廃妃のことなど、口に上りもしない。
 伊氏と中殿があい次いで亡くなり、王は数人の女官と夜を共にしたが、結局、誰一人として王の心を掴むことはなく、後宮は一人の妃もいないという淋しい状態が続いている。
「私は自らの手で彼女をこの世から葬り去ってしまったのだ。私は時に無性に空しくなることがあった。宮殿の玉座にじっと座っていると、自分の犯した怖ろしい罪で気が狂いそうになってしまう。そんな時、私は自らの罪を忘れたいがために、身をやつして忍びで町に出た。時には遊廓に行って、妓生(キーセン)を抱いたこともある。そなたと逢ったあのときも、私は遊廓に行こうとしていた」
 王は語り終えると、自分の両手を眼の前にひろげ、しげしげと見つめた。
「この手を私は愛する者の血で染めた。実に―、実に愚かな男だ」
 王の口から低い笑い声が洩れる。
 莉彩もまた哀しい想いで、王の整った貌を見つめた。
 王の虚ろな笑い声は途切れることなく、続いてゆく。なまじ美しい男だけに、気が狂ったように笑い続ける様は凄惨でさえある。
 莉彩は我知らず、後ろへにじり寄っていた。
「私が怖いか?」
 ふっと笑いを納め、王が問うた。
 張りついたような笑顔が美しい面に浮かんでいる。
「嫉妬に狂うあまり、生涯にただ一人とまで思った女を自らの手で殺し、愛する女よりも卑怯な大妃を信じた男だぞ、私は」
 自嘲するかのような口調に、莉彩は思わず言っていた。
「もう、お止め下さい」
 皮肉げな口調とは裏腹に、王の頬をひとすじの涙が糸を引いて流れ落ちてゆく。
「―」
 王が眼を見開いた。
「その頃のことを何も知らない私には、何をどう申し上げることもできません。ただ、殿下、これだけは申し上げたいのです。殿下はもう十分、お苦しみになられました。十年という月日は口にするのは容易いことですが、実際には途方もない長さです。その間、殿下は常に賢花さまと中殿さまのことをお想いになって過ごしてこられたのではありませんか? ご自分を責め続け、悪いのは殿下お一人だとお苦しみに。殿下、もし、私が賢花さまなら、殿下がそのようにいつまでもご自分をお責めになるのを見るのは辛いでしょう」
「莉彩」
 呟いた王に、莉彩は手を付いた。
「賤しい身も顧みず、身の程知らずなことを申し上げました」
「莉彩、人とは愚かでもあるし、前向きな生きものでもあるのだな」
 しばらくして聞こえてきた王の声は存外に明るかった。
 ホッと安堵の溜息をついた莉彩の耳を、王の声が打つ。
「そなたに出逢って、私はそのことをつくづく思い知らされた。もう二度と女を愛することはないと、愛せないと思っていた私に、そなたは希望の光をくれた。莉彩、私はそなたを―」
 言いかけた王の言葉を莉彩が即座に遮った。
「それ以上、仰せになってはなりませぬ!」
 王が息を呑む音が伝わってきた。
「何故だ? 私の語った過去は、やはり、そなたにとっては呪わしいものか? 愛する女を信じられぬような男はまた、信頼にも足らぬと?」
「いいえ、そのようなことはございませぬ。殿下は十年もの間、十分に苦しまれました。賢花さまの死はけして殿下が招いたものではございません」
 伊氏を殺したのは金大妃だと言いたいのは山々だけれど、ここでそれを口にすることはできない。