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約束~リラの花の咲く頃に~・邂逅編Ⅰ

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 蓮の花が墨絵で描かれた衝立や、色目も鮮やかな座椅子は、やはりこの世界が紛れもなくかつて栄えた華やかな王朝時代であることを物語っている。
 両開きの扉が静かに閉まり、侍女が去ってゆくのを見届けた上で、男が口を開いた。
「莉彩、そなたの身の上話をもう少し詳しく聞かせてくれぬか」
 上座に座った男から少し離れた場所に向かい合うような形で、莉彩は座った。その時、先刻の若い侍女が再び戻ってきて、莉彩は別室に案内される。そこで侍女に手伝って貰い、用意された衣裳に着替えた。
 眼の前の大きな鏡に映ったのは、まるで見たこともない少女だった。チマチョゴリと呼ばれる韓国の民族衣装で、これも時代劇でよく見るものだ。白地に大きめの紅や黄色の花が散ったチョゴリに、下のチマは紫に近い濃いピンク。チマには全体的に桜の花に似た模様が織り出されている。
 うっすらと化粧まで施された。髪は特に直す必要がないと言われ、そのままにしておくことになった。元々、韓国人と日本人は外国人同士とはいえ、外見的には全く区別がつかない。だから、こうしてこの時代の女性の衣裳を着ると、元からこの世界で暮らしていた人間のようにしか見えない。
 用意が調い、侍女に案内され再び元の室に戻った。
「ホウ、見違えたな」
 莉彩を見るなり、男が眼を瞠った。
 莉彩自身はあまり見たことはないけれど、莉彩の母は大の韓流ファンで、月に数本はDvDを観る。母が夢中になって観ているのを傍で見たことがあって、その時代の女性の座り方も朧げながら記憶にあった。
 何とか見様見真似で片膝を立てて座ると、男は声を上げて笑った。
「何だ、座り方も堂に入っているな」
 愉しげに笑う男を前に、莉彩は小さく息を吸い込む。
「先ほどの話だけど」
 莉彩が言いかけると、男がすっと表情を引きしめた。
 何から説明すれば良いのだろう。莉彩は少し躊躇った末、訥々と話し始めた。
「私はこの時代の人間ではないの。その、何と言えばよいのか、多分、タイムトリップが起こってしまって、一時的に自分の住む時代からこの時代に飛ばされてしまったんだと思う」
「たいむとりっぷ?」
 男が初めて文字を憶える子どものような顔で繰り返す。
「そう、タイムトリップ」
 莉彩は少し考え、言い換えた。
「あなたに理解しやすいように言えば、時間旅行といった方が良いかもしれない。その言葉のとおり、時間―即ち、幾つもの時代の流れを船に乗って旅してきて、たまたまこの時代に辿り着いたということかしら」
「理論的には判るが、俄には信じがたい話だ」
 男が首を振った。
「つまり、そなたが生きていた時代は、私たちの生きる時代よりも更に先の時代、未来ということか?」
「そういうことになるわね。私は、あなたよりもはるか先、気の遠くなるような未来から来た人間。もちろん、私も最初は何かの冗談かと思ったけれど、どうやら、これが現実みたい」
 莉彩は力なく笑った。またしても涙が溢れそうになってくる。
「泣くな。そなたがこの時代にいる限り、私はできるだけのことをしよう。住む場所も何もかも心配はしなくて良い。だから、そのように暗い顔をするな」
 男の言葉には心からの労りがこもっている。
「ありがとう。あなたには助けて貰ってばかりね。タイムトリップの話なんかしても、絶対に信じて貰えないと思っていたのに、信じてくれる人にめぐり逢えて良かった」
 莉彩の眼から、とうとう堪え切れずに涙が零れた。一度溢れ出した涙は、なかなか止まらない。
 莉彩は泣きながら、ここに来ることになった経緯(いきさつ)を話した。
 二十一世紀の日本にいたときも、やはり、走ってくる車に轢かれそうになり、その寸前で時を飛んだこと。
「車が眼の前まで迫って、もう駄目だって思った時、誰かが私の腕を掴んで引っ張ってくれたの。私は、それが近くにいた私の友達だと思ったんだけど、本当はあなただったのね」
 恐らく、男が莉彩の腕を掴んだその瞬間、こちら(朝鮮王朝時代)の時空とあちら(二十一世紀の日本)の時空が重なったのだろう。莉彩はそのまま、この時代に生きる男に導かれ、ここにやって来た。
 全くSF映画でも観ているようだが、この世にはまだまだ科学では解き明かされていない謎が幾多もある。全くあり得ないことではないのかもしれない。
「友達―、友達が一緒だったのか?」
 問われ、莉彩は頷いた。
「中学時代のクラスメート。ああ、こんなこと言っても、判らないわよね。ええと、どう言えば良いのかしら、同じ学校で一緒に学ぶ友達。今は違う学校に通ってるけど、野球をしてるの。物凄く強いのよ、和泉君ほどの剛速球を投げる高校生ピッチャーなんて、そうそういないんだから」
「野球? 剛速球? ピッチャー?」
 男が首を傾げる。
「ああ、ごめんなさい。判り易く言うと、野球というのは、長い棒で玉を打つ競技なの。和泉君はその野球がとても強いのよ。敵のチームの誰一人として打てないような速い球を投げることができるの」
 莉彩が夢中で話していたのを、男が遮った。
「もう、良い。和泉というのは、男なのか」
「え―」
 莉彩が眼を見開いた。
「普通、女はそのような競技はせぬからな。もしかして、男かと思うて訊いてみた」
 何故だか男は憮然として言う。
「その男は、そなたの何だ。恋人なのか?」
 あまりにも単刀直入な質問に、莉彩は言葉を失ってしまった。
「恋人―、なのかしら。判らない」
 莉彩自身、その日、慎吾に告げるはずだった。しばらく冷却期間を置いて、互いにこれからのことを考えてみないかと言うつもりで、あの場所に行ったのだ。
 でも、予期せぬ事態が起こり、莉彩はこうして時を越えて、はるか昔の朝鮮に来てしまった―。
 今、眼前の男に慎吾が恋人だと胸を張って言えたなら、莉彩はこんなにも悩む必要はなかったろう。
 思い悩む莉彩を見る男の瞳は複雑そうだった。もとより、うつむいたままの莉彩に男の表情は全く見えなかったのだが。
「そなたは、やはり、自分が住んでいた時代に戻りたいのであろうな」
 その言葉に、ひとたびは止まっていた涙が再び溢れ出す。
「帰りたい。帰りたいに決まってるじゃない。だって、ここにいる人は私の全然知らない人ばかりなのよ? 考え方も服装も、生活様式、習慣もすべてが違うんだもの。それに、日本じゃなくて違う国だし」
 何故、タイムトリップするにしても、日本ではなく、朝鮮だったのだろう。わざわざここに自分が来たのには何か理由が―天の意思が動いているのだろうか。
 不思議なことはもう一つあった。
 莉彩は、そのことを男に話した。
 この時代で頼れる人は今のところ、この男しかいない。生命を助けて貰ったし、何より悪い人ではなさそうだ。今はこの男には話せることは話しておいた方が良いと思ったのだ。
 それは、言葉の問題だ。この時代に飛ばされてきたその瞬間から、莉彩は男の話す言葉だけでなく、ここの人々が話す内容がすべて理解できた。