郷愁
「読むことが好きで、若い頃は月に二十冊以上読んでいました。読んでいたら、なぜか書きたくなってきて……」
「誰か特定のひとに読ませたくなったとか、じゃないんですか?ラブレターの代わりに」
美貴は笠山を凝視めながら云う。云われたほうは遠方へ視線を投げるような趣である。それから急に我に返ったように応えた。
「そうですね。そういうことも含んでいたかも知れませんよ。その特定のひとにも読んでもらおうとして、でも、渡したその場で慌てて取り返しました。恥ずかしくなったんです。稚拙なものでしたからね。あっ、違うな、ヒロインが自殺してしまうという陰惨な内容だったから、読ませたら嫌われると思ったんですよ。そうでした。古い話ですが、思い出すと冷や汗ものですね」
美貴の顔が「そのひと」に似ているような気がしてきていた。
「何でヒロインが自殺するわけ?」
奈津子が質問した。
「じゃなかった。主人公が自殺したんだ。ヒロインが親に無理やり中絶手術を受けさせられて、出血多量で死んでしまうんだよ。それで後追い自殺。救いのない物語だったな。暗いね」
「ネクラなんですか?」
「そうだろうね。小説を書くひとはその率が高いかも知れませんね」
「……話が戻るけど、親が娘に中絶手術を受けさせないでしょう」
そう云ったのも奈津子である。目に敵意が込められていた。
「親は娘の彼氏の主人公が気に食わなくて、というか、ほかの大金持ちの息子とくっつけたかったんだ。政略結婚をさせようとしていた」