その穴の奥、鏡の向こうに・穴編
「で?車掌がここに?」
思い返せば羊元も赤の軍だった。車掌が赤の軍だと言うことは、つまり二人はお仲間同士ってことになる。車掌は一か所を動かないと聞いたし、それなら羊元の店で働いていても可笑しくないだろう。だいたい、この見かけに似合わず大き過ぎる店をあの小さな女の子一人で全てこなすなんて無理があるんだ。
けれども誰にも聞こえなかったようで、俺の質問は夜風に乗って流れて行ってしまう。さようなら、俺の疑問・・・
空のロッキングチェアが風に揺れてキコキコと不気味な音をたてた。そこまで風が強くないのに、きっと背もたれの部分に貼られた布の影響だろう。夜の間は営業しないと言うのはこの世界でも通用しているルールのようだ。
「ヴ!」
カバンの中でトーヴが鳴いた。カバンの中に一度体を引っ込めると、中をがさがさと回り、またちょこんと顔を出す。ちなみにこの辺は俺に目には映ってないんで推察にすぎない。
「ヴヴッ!」
少し大きめの声で鳴くと、カバンからするりと抜け落ちた。デベッと不格好に着地をすると、痛みを誤魔化すようにブルブルと鼻を振ってから、毛づくろいをする所作を見せる。こう言う動きは非常に小動物的だ。
皆が何やら話し合っているのをよそに、トーヴは店の中へと走っていってしまった。
「あっ!」
慌てて追いかけようとするが、襟元を思い切り鷲尾に掴まれた。これがほんとの鷲掴みか。
「待てって!何処行くんだよ」
「え、店に・・・」
「何言ってんだ、羊元に殺されるぞ!」
そんな大げさな・・・と残りの二人に目をやると、揃ってうんうんと肯いていた。え、マジで?
言われてみれば、この店は言わば羊元の聖域だ。犯されて怒るのは当然のことかもしれない。俺だって、親が勝手に俺の部屋に入ってきたら怒るからな。見られたくないもの、触られたくないものの一つや二つあるだろう。いや、女の子の場合あるのか解らないんだけど、少なくとも男にはあるんだよ。
で、どうやら先ほどからされていた話し合いは、「入らずしていかに羊元を起こすか」という内容だったそうだ。そんな天の岩戸・・・だっけ?そんな作戦取らなくても・・・
「うるさく騒ぐのはどうだ?」
「却下」「馬鹿なのかい?」
鷲尾の提案が二人に揃って一蹴される。彼は「そうか・・・」と、反論をせずにゆっくりとこうべを垂れた。怖すぎるだろ、この会議・・・。
「売り物のベルを鳴らすとかは?表に出てるし」
「確かに売り物に触るだけなら怒られはしないが、ベルの音なんぞで起きるほど浅くないだろう」
「あー・・・そうか・・・」
鷲尾をのけ者にして、残りの二人で話し合っていく。あ、俺は元々カウントされてねぇからのけ者も何もないってことで。
そこで、ふと元々あった疑問を思い出した。最初に無視されたあれだ。暇そうにしていた鷲尾を捕まえて尋ねる。
作品名:その穴の奥、鏡の向こうに・穴編 作家名:神田 諷