その穴の奥、鏡の向こうに・穴編
「若杉っ!とにかくこれに赤の奴らからサインをもらってくればいいんだな?!」
「ああ、そうだが・・・」
少し不満そうな顔をしている。こいつも気になるようだ。無理なんだよ、お前ら頭いいんだろ察してくれよ!
エレベーターの方に向かおうとすると、若杉が呼びとめてきた。説明できないんだよ、頼むから逃がしてくれよ・・・っ!
すると、彼は俺にメモ帳を投げてよこした。ご丁寧に、わざわざ紙飛行機の形に折られている。何の気遣いだ・・・?広げてみると、そこにはさきほど上がっていた能力名が書いてあった。「車掌」「公爵夫人」「花」だ。
「忘れてはならんからのう」
確かに助かるけど、三人とも、名前がさっぱりなんだが。いや、三人じゃないんだっけ?ともかく名前が全然、名字すら情報がないんだけど・・・。困難で人探しなんて出来んの?能力名は能力者の間では個人を特定できるとしても、一般人には解らないんじゃ・・・。
尋ねた俺に対し、聞かれた側の若杉は目を丸くして返してきた。
「無能に何の用がある?」
あの考え方は柳崎や羊元の個人的な考えだと思っていたけど違うようだ。思い返せば宝亀もそれを匂わすようなことを言っていた気がする。この世界では能力者は絶対的な立ち位置にいて、非能力者はかなり扱いが粗雑だ。力や体力と言った基礎能力の点でも相当な差があった。非能力者の人たちにとっては、何て生きにくい世界なんだろうか・・・
「無能の存在に目を向けるとは、本当に変わった奴なのだのう」
「あんまり無能無能言うなよ」
俺は多分、元の世界では無能の方だった。たまたまこっちの世界に来たから能力者になったようなもんだけど、きっとこっちの能力者って言うのはプロスポーツ選手や一流ミュージシャンみたいなもんだ。色々と特別で、誰からも価値があると思われる存在。でもそれは極一部で、現実世界だと「才能」という目に見えない区分で一線を画している。個人的な観点で言えば、「死ぬほどの努力ができる」っていうのも一種の才能だと思うから、「才能じゃない、努力のなせる業だ」っていう意見はここでは考えないでおこう。
話がずれたけど、だからこそ俺は無能だって非能力者をむげにしたくないんだ。
まとまってもいないし、めちゃくちゃな論理と思考だった。言葉も下手だし、上手い説明なんて全くできない。すると鷲尾がニシシと笑った。
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「ま、俺達も道具がなければ非能力者も同然だもんな」
「馬鹿を言うな、獅子丸。我々は武器が無くとも、基礎的な身体能力がケタ違いだろう」
折角同意してくれた鷲尾の言葉を、宝亀が否定した。やっぱり解ってもらえなかったかと思ったが、そうではなかった。
「我々にはどうあがいても非能力者にはなれない。だからこそ有須が元の世界で非能力者だった言うのならば、その苦痛を解ったふりをするのは失礼にあたる」
なんだよそれ・・・。なんだかんだいって一番わかってくれてんじゃんか。
すこし、しんみりとした雰囲気が空間を包んだ。若杉が吸わなくなったので、煙管から出ていた異様な色の煙が沈下し、視界が少し開ける。
その沈黙を破ったのは、根角だった。
「で、どうするのさ」
どうって・・・どうも何もない。俺はとにかく署名だかを集めてくるだけだ。けれど、根角が聞きたいのはそこではなかった。嘆息してから呆れた視線を向けてきた。
「この大所帯でずっと動くわけにもいかないでしょ?」
言われてみればそうだ。多分、いやなんとなくなんだけど、若杉はついては来ないと思う。藤堂も根角が行かないのならついてこないだろうけど・・・
「携帯とか持ってんの?」
ここに来るまでの間にこの世界はかなり見ていた気がするけど、全然携帯みたいなものを持っているやつなんて見た記憶がない。ってか、公衆電話みたいなのも無かった気がする。
案の定、宝亀が食いついた。
「携帯?携帯とはなんだ?」
「あー・・・そうそう、連絡道具だよ」
電話がないってことは、持ち歩ける電話という説明は出来ないわけだし、通信器具があるかどうか解らない状態だと通信手段という言葉も怪しいところがあって悩んだが、上手く言えた気がする。
連絡道具と言う説明は解りやすかったようで、宝亀は細かくは聞いてこなかった。
「なるほど。確かに分かれて行動した時、連絡手段がないと協力体制をとるのは難しいな」
むぅと考え込んだ宝亀に、気になったことを素直に聞いてみた。
作品名:その穴の奥、鏡の向こうに・穴編 作家名:神田 諷