その穴の奥、鏡の向こうに・穴編
「もう一度尋ねる。契約内容は何だ?」
すると面倒くさそうな・・・、いや、違うな。あれは嫌悪感だ。若杉はそれをあらわにした目で宝亀をジトッと見下した。宝亀も負けずと睨み返す。ぴりぴりと張りつめた空気が空間を支配して、とても息苦しかった。
若杉は紙をひらひらと振ると、勢いよく先ほど座っていたソファにまた腰掛ける。そのままごろりと横になり、うつぶせになって子供のように足をバタバタと動かした。掃除もしていなければ、煙が充満しているせいもあるだろう。それこそキノコの胞子のように、ソファからもくもくと埃が湧きあがった。ハウスダストだとかそんなアレルギー体質じゃないけど、見てるだけでくしゃみが出そうだ。
「なんだよ〜ぅ、私は契約方法など持ち寄っておらんだろうがぁ」
なんだろう。しっかりした人が砕けるとどうにも絶望感が大きい。さっきまではこいつの言うこと信用してもいいかもと思ってたのに、何というかこの・・・、しょうもないことで駄々をこねるちびっこを見ているような気分になってる。
待てよ?今何か引っかかったような気が・・・
俺なんかが引っ掛かるような話に、宝亀が気付かないわけがなかった。目を丸くしていた彼女は、そのまま彼の方へ詰め寄ると、その紙を取り上げる。それは紙を見るための行為ではなく、相手の意識をこちらに向けさせるための行動だったらしい。
彼女の意図通り、若杉はグッと反って、きりっとした、迫力のある瞳を捕えた。しかし宝亀は目つきこそ凛々しいものの、その表情は茫然としている。あの顔なら、怖くは無いだろうな、うん。
「まさか・・・?」
「そう、そのまさかだ。解っているではないか、亀まがい」
平然と答えると、彼はごろりと寝がえりを打つ。どすんと派手な音がして、その長躯が床に落ちた。小さく「いたっ」と聞こえたが、まあ建前上聞こえなかったことにしよう。
若杉はすっと立ち上がると、何事もなかったかのように俺の方に向かって歩いてきた。いや、転げ落ちたことは無かったことにはならないからな、言っとくけど。
隣を少し追い越したところでくるりと向きを変え、ニッと笑って俺の肩に手を置いた。
作品名:その穴の奥、鏡の向こうに・穴編 作家名:神田 諷