その穴の奥、鏡の向こうに・穴編
「止まらなくてもいいんだよ」
鷲尾が勢いよく鎖を引いた。柳崎は止まらない。が、彼女が縦に持っていた本は、勢いよく倒れたのだ。彼女の本は大きいものだし、重たいものだ。だからこそ、すこし重心をずらしただけで、簡単に倒れてしまったのである。
本が手から離れた柳崎に、鷲尾が手加減なしの蹴りを入れた。男子大学生が女子中学生に攻撃しているようで、俺的にあまり気分のいい光景ではない。だが、これが年齢に関係のない戦争なのだとしたら、やむを得ないことなのだろう。
蹴られた方もやられるだけではない。腹を少し抱えたかと思うと、低姿勢で鷲尾の足もとに駆け込んだ。そこに落ちているのは彼女の武器。鷲尾が気付くのが遅かったのか、柳崎の行動が速かったのか、それは解らない。柳崎の手は本に触れ、途端手をつき倒立するように足が持ち上がる。スカートなのに・・・。
しかしそれも一瞬だった。持ち上げるついでに、鷲尾を蹴り飛ばしたのだ。鎖がジャラジャラと音を立てて鳴る。
「鷲尾!」
思わず出た声には何の意味もなく、鷲尾はアニメのようにぶっ飛んで、羊元の方に突っこんだ。そう言えば、向こうで一人、柳崎の部下たちと交戦してたんだっけ。彼女を助けるために今戦ってるのに、すっかり忘れてた。
幸いぶつかることはなかったが、邪魔にはなったようだ。
「何してるんだい!」
「悪い、油断した」
結構痛そうなのに、鷲尾はへらりと笑って見せた。平気なのだろうか?
「心配はいらない」
そう言ったのは、鷲尾じゃなくて、隣に立つ宝亀だ。心の声が聞こえたんすか?
宝亀は鷲尾を信頼している。恋人予備軍に見えるってことは、やっぱりそういうところもあるんだろうな。あーあ、羨ましいこって!
僻みに気付くはずもなく、宝亀がふっと笑みをこぼした。可愛らしい笑みというよりは、妙に自信にあふれた笑みだ。
作品名:その穴の奥、鏡の向こうに・穴編 作家名:神田 諷