アイラブ桐生・第4部 41~43
「おとめ座で、血液はA型。
きわめて典型的な、真面目人間だと自分では思ってる」
目を細めて悪戯っぽく笑っているお千代さんです。
「旦那は、箔屋、(金箔工芸師)だ。
金箔は京友禅でも使われている伝統的な職業です。
まぁはっきり言って腕は良い。
でもさぁ20数年も連れ添うと、もう、いまさらときめきは無くなるし、
一人娘も社会人になったら、まったくもって寄りつきもしない。
家付き、年寄り付きでお嫁にやって来て
気がついたら、おじいちやんは鼻歌で、おばあちゃんはうたた寝の日々だ。
毎日のメシ作りがつらいし、飽きてきた。
べつに料理が嫌いなわけじゃないけれど、一日三回も食べなくても・・・・
なんて、ついつい思ったりしている今日この頃だ。
あたしって、不謹慎すぎるかな? 」
てんぷら屋の「順平」のカウンターです。
繁華街の隠れた片隅とはいえ、河原町にもほど近く、
町屋の中につくられたお店です。
てんぷら屋の暖簾とくれば、店に入るのにはそれなりの度胸も要ります。
高いという評判は良く聞いていましたが、この一帯のお茶屋さんや、
小料理屋さんの値段のことなどは、一切わかりません。
来てはみたものの、どうしょうかと二の足を踏んでいたら、
いきなりポンと、背中を叩かれました。
「遠慮しないで入りな。
たかが天ぷら屋の勘定なんか、
よちよち歩きのぼうやに払わせるほど、お千代さんは野暮じゃない。
さあ、おいで」
今日は、和装ではなくシンプルな洋服姿のお千代さんです。
でもその胸元には、今日も綺麗に一輪のカキツバタが咲いていました。
「こらこら。
大人の胸元を、そんなに真剣な目で見ないでおくれ。
余り見られると、さすがの私も気恥ずかしい。
若い娘なら、たっぷり見られても甲斐が有ると思うけれど、
もう、すっかりと姥桜だもんねぇ・・・」
しっかりと、勘違いをされてしまいました。
胸に見とれたわけでは無く、見事なカキツバタに見とれていたのです。
「な~んだ、勘違いかぁ・・・あ~あ・・・・つまんない。
久々に男に見つめられて、正直やっぱりときめいて、
ドキドキとしたのに。
なんだ、ただのあたしの勘違いかぁ」
納得をしたあげく、今度はカウンターで高笑いをしています。
天ぷら屋の「順平」は、ご主人(金箔師)の
同級生が経営しているお店です。
コの字の形をしたカウンターは、せいぜい5~6人が座れば、
いっぱいになってしまうだろうという、小さな店構えです。
「4人か5人も来れば商売になるんだから、
まったくいいお仕事だ。
わたしなんか、朝から晩まで座ったきりで、たいして稼ぎもないままに
くたびれきった亭主と、もう4半世紀も過ごしたままだ。
ああ、絵を描いているだけで、もうこのまんま、
私の人生は終わりかな」
「この人は、この界隈では、
カキツバタのお千代はんと呼ばれているお人で
友禅染の世界では、ちょっと名の知れた有名なお人です。
腕はよいのですが、酔っ払うとお人が変わります。
他はなにひとつ申し分がないのですが、そればっかりが、玉にきずです。
お千代ちゃん、この子かい。
川っぺりで絵を描いているという、天才の原石は 」
「そうそう、私がそこで拾ったの。
本当に変わっていてね~、もうひと月近くにもなるの。
この暑いのに、毎日毎日そこの川筋で熱心に画をかいてるの。
そう言えば、カキツバタばかりを書いていたあの頃の
私の昔を思い出して、ついつい声をかけちゃった。
呑める?
じゃあこの坊やにも、もう一本つけてあげて」
作品名:アイラブ桐生・第4部 41~43 作家名:落合順平