安全な戦争
三月に卒業式があり、四月には入隊式があった。一年目は基礎体力の向上が行われ、二年目からは希望兵科に分かれて訓練を行った。俺は機甲科に入って戦車乗りになり、優秀な成績を収めた。三年生になった時、中東行きの任務に志願して許可が下りた。部隊レンジャーの試験も受け、第二空挺団に配属された。空挺戦車部隊に配属されたが、通常の降下訓練も受けた。やっと中東の土を踏めたのはテロ事件から四年後、入隊してから二年半後だった。
中東行の便に乗る前日、叔父夫婦から手紙をもらった。状況を報告するために連絡をすることはあっても、休暇を貰っても彼らの家に行くことはなかった。手紙をもらったことと郵便事業が生き残っていたことに驚きを感じつつ、封を切った。手紙は二枚。叔父と叔母の書いたものが一枚ずつ。
『守君。この手紙を書いている前日に自衛軍の人から連絡をもらった。中東に行くそうだね。私は海外に行ったことがないし、旅行は趣味ではないのでいつも自宅にこもりっぱなしだ。風土も文化も違う場所で君が生活することを考えると、いろいろな不安をよぎるよ。君のお父さんは私の弟で、いつも自室で本を読む私と違ってとても活動的な奴だった。部屋は散らかしほうだいで、怒られなければ家事の手伝いも勉強すらしないような奴だった。私との唯一の話題は映画に関することだった。その時の様子は、今でも目に浮かぶよ。守を見ていると、あの時の弟の姿がよみがえるんだ。短い間だったけど、守と話せる時間はとても有意義だった。表情が暗い日々が続いたが、君のお父さんと同じように映画の話題を出した時、明るい表情になって嬉しかった。こんなにも表情が温かく、そして父親に似るのかとね。私は君と家族同然のように接してきたつもりだ。君がどう感じたかはわからないが、これだけは、これからの日々の生活で思い出してほしい。帰りを待っている。そしたら一緒に話をし、食事を一緒に食べ、一緒に映画に行こう。 沖田誠二』
『守へ。連絡はないのは元気な証拠というけど、お元気ですか? 私たち夫婦は相変わらず元気です。自衛軍の方から連絡を貰って、とにかく焦りました。ここはお祝いの連絡を入れるのもおかしいし、かといって怒るために自衛軍に行きたくもなかったので、こうしてお手紙で無事を祈っていることを伝えようと思いました。最初に言い出したのは叔父さんの方です。私はちょっとびっくりしてしまいました。なんせ無口な方だから、自分から言い出すことなんてなかなかないの。わざわざ便箋を買ってきて、こうしてお手紙を書いています。でも、今こうしてお手紙を書いていても、書きたいことが見つからないの。叔父さんの方はなんだか熱心に、ペンを勢いよく走らせていますが、私にはちょっと実感がわかなくて。家が火事になって、引き取ることになっても守君は暗い表情のまま。私はどう接していいかわからなくて、おろおろするばかりでした。私にはあなたの母親代わりができるのかと不安でいっぱいで、今でもそうです。だからこうして手紙を書いていても、言葉が浮かばないのは私の情けなさなのだと思います。ごめんなさいね。でもね、はっきりと言えることがあるの。それは手紙を書く前に叔父さんと相談したんだけど、帰りを待っていることだけは言おう、って。だからあなたの無事を待っています。いつでも連絡をください。世間では自衛軍のことをいろいろ言う人がいるけど、私たちはあなたの味方です。帰ってくるまで、大きなケーキを作って待っています。 沖田麻衣』