安全な戦争
火は嫌いだ。大嫌いだ。
見ただけで悪寒がする。火の傍にいるだけであの時の悪夢が襲ってきそうで、俺は眠れない夜を
過ごした。
それに俺は戦車が燃え盛る光景を見てしまった。あの中で仲間が焼き殺されていく姿を、無残に
も想像してしまった自分がいる。
もう二度と近寄りたくはないはずなのに、今夜ほど火の傍にいたいと思ったことはなかった。そ
の暖かな光と熱に寄り添って、眠りにつきたいと願う俺がいた。
俺は地面に体温を奪われて風邪をひかないように、集積されていた端材を大地にそのまま敷いて
寝た。
寝心地は最悪だが、アンナの家に生きたいとは思わなかった。それに野外で寝ることは自衛官に
とって日常茶飯事だ。さほど苦労はしない。しかも今は火がある。普段は野生動物が迫ってくるた
め火は消しているようだが、今夜に限っては神様とやらを招待するために、火を絶やさないようだ。
だから俺は眠りたくても眠れなかった。無視すればいいのに、俺はいい加減にしろと応じてしま
った。
「アンナに追い出されたんじゃな」
火を絶やさないようにするのは村長の仕事らしい。いくら背筋が老人らしからぬぐらいにピンと
伸びていたとしても、疲労がたまれば明日は動けなくなるだろう。
「あの娘は歳が歳だけに機嫌が定まらないからのぅ。わしもどう接したほうがいいのか、加減がわ
からんのじゃ。だから、そう落ち込むことはないぞ」
村長は使わなくなった木の端材を薪代わりに火の中へと放り込んでいた。
「そうじゃないんですけどね」
「はて……、どういうわけかのう。よければわしに教えてはくれんか?」
「私のことを、しいては村のみんなを馬鹿にするようなことを言ったんですよ、俺が。だから彼女
は怒ったんです」
「ほほぅ。この村のことをか……。気になるのぅ」
村長は髭をいじりながら答えた。
それの何が楽しいのか全く理解できないが、俺は説明することになった。アンナと俺が話したこ
と全てと、俺が思っていることを。
「なるほど……。今の日本ではそうなってるんじゃな」
「やっぱり村長も日本のことをご存じなんですか」
「そりゃそうとも。わしがまだまだ現役で働いていた頃じゃからな。日本から来た軍人が、色々と
教えにやってきた。最初は慇懃な奴らだと思っておったのだが、交流していくうちに仲良くなって
の。よくよく見てみれば礼儀正しい奴らじゃないか。村の者も数年という短い間だったがたいそう
喜んでの、別れの時には送別会を開いたもんじゃよ」
「ここ一帯のインフラを整備したんですか?」
「そうじゃよ。ただ、自分たちは教えにやってきたと頑なに自らやることを拒んでいたから、何を
偉そうにと憤怒していた。でも彼らの言うとおりにやった畑がこれまたうまくいっての。収穫期に
は倍ほどの穀物がとれたもんじゃよ。それから村の者は言うことを聞くようになった。もしかした
ら、もっといい生活ができるんじゃないか、とな」
人道支援というのは、一方的に与えるだけではだめだ。そうすると親に甘える子供みたいに、自
分たちでは何もしなくなってしまうからだ。それに経済事情というものがある。日本が安く仕入れ
た穀物を現地でかわいそうだからと安く卸して売ると、その土地周辺の農家が立ち行かなくなるか
らだ。
自衛軍はまず技師を育成したのだろう。彼らに農業の仕方や井戸の掘り方などを教え、これから
の為に教えを説く。また農業も、より効率的な方法を提供することで、自分たちの生活が良くなる
と認識させる。
しかしこれにはかなりの時間がかかってしまう。まず地元住民の理解を得るのが難しいため、ど
うしても数年というスパンが必要だ。
その点、彼らはいいモデルケースかもしれない。地元住民とよく交流ができ、発展できた例とし
て、報告書が国会に出されたはずだ。
「おぬしも日本の軍人だそうだが、やってることが随分と違うの。それではまるっきり逆ではない
か」
「そうなんですよ。決してやりたくてやっているわけではないと言えますが、その、役割なんです。
表と裏で組織は人間を使い分けなくてはいけないんですよ」
「ふむ。よくわからんのう」
「ここでいうなら、祭りのときに踊る人と儀式を執り行う人が違うのと同じですよ。村の女たちは
踊り子になって、村長は儀式を執り行うリーダーでしょう?」
「おお。そう考えるとわかりやすいな。なるほど、じゃ」
村長は首を縦に大きく振り、薪を投げ入れた。バチバチと爆ぜる火の粉は、村の広場を照らして
いる。
「それならおぬしの言うこともわかるの。勉強をしたほうがいいということが、自分のため、組織
のため、社会のためになることだとな」
村長は物わかりがいい。老齢だから、きっと固い考えの持ち主だと思っていたのに、意外と柔和
な思考を持ち合わせている。
「それとアンナも、ずいぶんと軽率な判断を下したものじゃな。確かに表面だけ聞けば自分たちの
ことを馬鹿にされていると思っても仕方ないが、ちょっと思考が足りんかったな。考えてみれば、
お前さんなりの気遣いでもある」
だがしかし、と村長は続けた。
「彼女も同じように、優しさを持っている。だからお前さんの言ったことに怒りを覚えた。どちら
とも正しくて、間違いでもない。ただ分かり合えなかった、それだけじゃ」
「分かり、あえない……?」
「そうじゃ。人は誰でも考えを持っておる。そのすべてが間違いなどではない。何か根拠に基づい
ておる。お前さんは日本人として、アンナはこの村の住人として、じゃ」
「でも生活は全く違う。……彼女と俺とでは、一日にどれだけの犠牲を積み重ねた生活かわからな
いでしょう。俺たちは知らないだけで、事実としては十分にあります。みんな、知らないことを知
っているんだ」
この世界に、情報は数限りなくあふれている。もし欧米や日本以外の後進国の生活事情を知りた
いなら、ネットで検索してみるといい。様々な種類の「格差」がそこに載っている。いかに自分た
ちが犠牲の上に社会が成り立っているかわかるだろう。
でもみんなは、それを、知らないということを知っている。
あるとわかっていつつも、知ったら自分がどうなるかよく知っているからだ。
みんなはこう答えるだろう。自分の生活で精いっぱいだ。他人のことを気にしていたら、自分の
生活が危うくなる。俺たち・私たちは募金をしていればいいんだろう。あとは誰かがやってくれる
さ。俺・私じゃなくても、誰かがやれば、と。
訴えかける声を聴く人はいない。それらは反乱した情報の一つとして処理され、今晩や明日の予
定で頭の要領がいっぱいの人たちに煙たがれる。
でもそれは間違ったことじゃない。村長が言うように、誰もかれもが優しさと、その根拠を持っ
ているからだ。
「お前さんは本当に頭がいいんじゃな」
村長は満面の笑みで答えた。
もしかしたら彼は、先進国に暮らしていたことがあるかもしれない。そうでなければ、これほど
までに広い視野が身につかないはずだ。
「なぜ?」
「そうしてわしたちを気にかけてくれるその気配りにじゃよ。そして余計なことを言ってしまった
んじゃないかと思うその感情に、わしは好感を抱いておるよ」