安全な戦争
「うわぁああああ!」
俺は上半身を起こした。勢いよく上半身を起き上がらせたせいで、顔に血が上って息が上がるの
をわかる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
手を握ってみる。すると手が汗でにじみ、そこからまた大量の汗が噴き出してくる。
死のうと思っても、俺は死にきれないのか。戦場へやってくる前に体験したことが走馬灯のよう
に俺を苦しんで、本当に衰弱して息絶えるまで俺を苦しめるつもりか。
「くそ!」
俺が精一杯の力を込めて叫んだところで、隣に誰かいるのかようやく認知できるようになった。
俺はとっさに振り向き、横にいる人間に対して臨戦態勢を取った。
「起きた……わよね?」
隣にいる人間が日本語じゃない言葉で話しかけてくる。
「あなた、軍人よね? いろいろと装備を持っていたし、ここら辺じゃ見かけない顔だし」
隣にいるのは俺と大して変わらない少女だった。ぼろぼろのTシャツを着て、裾がぼろぼろにな
っているスカートをはいている。そして俺の隣に屈み、左手には桶を持っていて、その中には茶色
い布と水が入っている。
「砂漠で倒れていたから、死んでいるのかと思ったけど息をしてるからさ。ここで看病したんだ。
よかった〜生きてて」
その喋っている言葉が英語だとわかると、俺の脳内で瞬時に英語を話す回路を形成する。俺は言
葉とそのニュアンスからゲリラ兵でないことを確認すると、臨戦態勢を解いた。
「ここはどこだ?」
「ここ? ここは私が住んでいる村よ。名前はないけど……つけるとするならアシュルード村かな」
「アシュルード……」
「それ、村長の名前なんだ。私たちがこの村自体を呼ぶときは、そう呼んでる。あんまり呼ばない
けどね」
そのまま立ち上がって部屋から出ていこうとする少女に、俺は尋ねた。ゲリラ兵はいるのか? と
聞きたかったが、俺は別の単語を発していた。
「名前は?」
「アンナよ。あなたは?」
「ああ……守だ」
「マモルね。よろしく」
少女は建物の入り口にかかっている布をはらいながら外に出ていく。俺はなんて馬鹿な事を尋ね
たんだ。ふざけやがって。
心中に毒づきながら、俺は辺りをきょろきょろと見まわした。ここはどこなのか改めて確認する
ためだったが、地面に敷いてあるのはぼろいカーペット、泥煉瓦で作られたキッチン、大きなツボ、
ガスコンロの代わりにかまど……と明らかに日本の家とは違った。今は夢の中にいるわけではない
ようだ。
装備は俺のすぐそばにきちんとそろえられ置かれていた。俺は戦車兵のベストから拳銃と万能ナ
イフを取り出す。拳銃がしっかりと動作するのかチェックを行い、正常に動くことを確かめると腰
にあるベルトに挟む。
俺は下半身にかかっている掛布団代わりのぼろ布をのけた。そのまま立ち上がり、玄関と思しき
場所を潜り抜け外に出る。
外では村人らしき人々がそれぞれの生活を営んでいる。汲んだ水を運んだり、洗い物をしたり、
料理をしている家からは白い煙が窓からあふれていたり。
日本とはまるで違う光景だった。それぞれの家や所有物にセキュリティがかかり、静脈認証の登
録がなければ、買い物をすることも、自転車に乗ることも、料理をすることも、場合によっては自
分の部屋に入ることもかなわない。玄関には布が垂れ下がっているだけ、窓はただ空いているだけ
なんて、日本じゃ考えられないことだ。人々のそれぞれの生活が見えるなんて。
「ああ、ダメダメ。外に出たら!」
横合いから、アンナが一人の老人を連れて歩いてくる。彼女のことを陽の下で見ると、大きくて
黒い目や艶やかな黒い髪の毛が強調されていて、それなりに美人であることがわかる。
「動いたらダメよ! 村長を連れてきたから、家の中で話しましょ」
「あ、ああ……」
俺は彼女に連れられ、家の中へと戻る。
村長は長く白いひげを蓄えており、口を開くとそのひげが大きく揺れた。
「まず君は……ゲリラがいないかどうかで不安に思っているね?」
村長は俺のまず一番の懸案事項を話してくれた。俺がこくりと頷くと、彼は蓄えた髭を撫でなが
ら、
「その心配は無用じゃ」
「なぜ?」
「ここは国連軍の警戒区域に指定されておるからじゃよ」
警戒区域に指定されると、一日中、無人警戒機が上空を巡回する。俺がいた前哨基地にもその為
の滑走路が併設されている。有人機はもちろんのこと、十分間隔で航空機が離着陸する。
しかし警戒区域外も偵察は随時行われている。区域内ほど頻繁に行われたりはしないが、ゲリラ
殲滅を掲げている連合軍は、二十一世紀初頭から始めている無人手爆撃機による攻撃を続け、ある
程度成果を出している。それでも駆逐できないときは、俺ら現地隊員が戦闘行為を直接行わなけれ
ばいけなくなる。
だけど、俺は作戦に失敗した。一人生き残った俺は複雑な表情を浮かべ、看護してもらった少女
と村長を務める老人からこの村のことの話を聞いていた。
「つまり、ゲリラが来ないから、俺のような人間をかくまっても問題ないと」
「そうじゃ」
「あの、軍と連絡ができるような、通信機のようなものはありますか?」
「通信機……? はて、わしにはここで安全に暮らせるとだけ聞いておっての。通信機とやらは持
っておらんのじゃ」
「そうですか……」
「すまんの。おぬしを助けるだけで精一杯じゃ」
村長はそういうと、
「わしは祭りの準備もあるでな。失礼するよ」
立ち上がり、外へと出ていく。彼の背は老齢には似合わず、ピンと伸びている。身長は俺よりも
二十センチも短いはずだが、その歩く姿は、彼の人生を物語っていた。
「祭り?」
アンナと二人きりになったところで、俺は尋ねた。
「ええ、そうよ。年に一度の感謝祭。今年の実りを神様に報告するの。一年間で収穫した穀物をた
くさん食べられるのよ」
アンナの目は輝いている。日本にも勤労感謝の日がある。もともとはその年に収穫した新米を神
前に納め、一番早く食べられる日だったのだが、工業の発展・農業の衰退で、意味の解釈の仕方が
異なっていってしまった。
「この地域では伝統的な催しよ。私たちはこの日の為にいろいろと準備することが多い。村のみん
なは生きがいにしている。大切な日よ」
日本はどちらかというと、伝統・文化を忘れてきたような気がする。それは第二次世界大戦に負
けたことから始まる。今の日本は、あまりにも本当の意味の「自分たちの歴史」を知らない。特に
安全と安心を求めた街づくりを全国的に行ってからは。
「そうなのか」
アンナは俺のつぶやきをどうとらえたのか、一緒に祭りの準備をしてくれないかと提案してきた。
「俺がか?」
「そう。どうせ寝ていろって言っても聞かないんでしょ? だったら準備を手伝って。ちょうど明
後日から始まるし、人手不足だったのよね」
アンナはこれ幸いとばかりに、俺の腕を引っ張った。
「ちょっと待てよ!」
「いいから、いいから」
俺を屋外に連れ出す。外はもう薄暗く、地平線の向こうに太陽が沈もうとしている。日本ではな
かなか見られない光景だが、俺は基地暮らしが長いせいか、美しいとも神秘的とも感じなかった。