ウリ坊(完全版)
小さな秋(恵)
仕事を終えて、家で茶を飲みぼーっとしていると、ウリ坊が転がるように
帰ってきた。何かあったのだろうか。私は話を聞く前にもう一口
お茶をすする。置いておいた冷めた茶はまずいのだ。
「どうかしたのかね」
「大変だよぉ。秋が来たんだよぉ」
「……どこに?」
顔から血の気が引いていくのが分かった。
秋が来た。こんなにも早く。私は真っ先に家電話に向かう。ウリ坊が
玄関口でヒステリックにわめいている。
「そこの河原にドングリが落ちてるんだよぉ。早く来てよぉ」
「待って。……私です。秋が来たと放送局に伝えてください。外出の規制を------」
言いかけてやめる。受話器を叩きつけて駆け出す。河原の近くに住んでいて、
この時間帯にそこを通る者を私は知っていた。
外に出るとまだ暑かった。だが、空気に夏らしい湿り気がない。空が赤い。
走っていると涼しい風が一陣、頬をかすめていった。秋が来たのだという
実感が、頭の隅々にまで行き渡る。頭はどこまでも冴えているのに、
胸だけ別物みたいに痛かった。
あかね色に染まる町の壁面と、原色の違い故か反発する一面の下草。
空気や風はどこまでも透明で、故にどこまでもあかね色だ。
家々の連なる通りを抜け、河原に一足飛びに飛び降りる。膝が震えた。
やはり慣れないことはするもんじゃない。
どんぐりはまだ落ちていた。
ウリ坊は私の後に追いついて立ち止まる。
「近づいてはダメ」
「何してるんだい?」
のんびりとした声と、下草を踏む音がした。どんぐり越しに、飄が
人好きのする笑顔を浮かべて立っている。
「気をつけて。爆弾ですからね。ふっとんでも……私は知らない」
そう。知らない。どうなろうと知ったこっちゃない。
私はそう"考えた"。
「知らないは酷いなぁ」
苦笑を浮かべながら、どんぐりを大きく迂回して、こちらへと歩いてくる。
影が長く長く伸び、私の短めの影とクロスする。
「……秋が来たんだね」
彼は悲しげにつぶやいた。
たわけた言葉が脳裏に浮かんでは消える。知らないなんて嘘だとか、
無事で良かったとか。でも、口をついて出たのは、震えた
とても情けない言葉だった。
「小さな秋は、今までの秋の中でも最も悪質だね。いくらこの狭い世界での
人口が決まってるからって……爆弾で、無差別テロだなんて」
「みんな一緒にいれば大丈夫だよ」
彼はのほほんと返してきた。何を暢気な。私はにらみ据えたが、微笑みが
返ってきただけだった。
その時だった。突然、どんぐりが言葉をしゃべった。
「これはこれはお久しぶりです、『可愛らしいのお店』店主の恵さん。
その節はお世話になりました」
「知り合いなのかよぉ?」
私の足下で、ただただびっくりしただけの、幸せな声がした。
「あの時の毛虫……」
「え、もしかして、あの雑誌に載ってた?」
飄は慌てた様子で言う。
「そうですよ。……どういう事か、説明してもらいましょうか。何の因果で
小さな秋をやる気になったのか」
どんぐりは無邪気と言っても良い明るい声で説明してくる。
「夏親分に誘われたんですよ。わたしも毛虫には飽きたし良い機会だと思って。
なり手が少ないらしいですね」
「当たり前です。良心は痛まないんですか」
「まあ汚れ仕事ですけど」
どんぐりはのうのうと言ってのけた。私は
「神さまには電話しました。この辺一帯に外出禁止令が出されているはずです。
残念でしたね?」
どんぐりはこてんと転げた。ウリ坊がおおっと叫ぶ。
「失礼。脱力しました。あなた、あの偽善者と繋がりがあるんですか」
「祖父だよ。もっとも、今は他人だけれど」
「ああ、それで裏ペットショップをおやりなんですね」
「私は母と姉の仕事を継いだだけですよ。祖父は関係ない」
「もったいない。仲良くしていればいろいろと利権があるんでしょうあの職業は。
どうりで、爆発させないリストにあなたがたの名前が無かったはずだ」
その通りだった。
この世界では当たり前のことなのに、私さえ祖父を受け入れれば、
楽人やウリ坊が爆発に巻き込まれる可能性は無くなるのに。
私は感情なんて大嫌いだ。頭でならどんなことでも対応して
処理出来そうな気がするのに。
兄と姉は殺されて当然の罰を受けた。祖父が刑を執行したのは、
それが彼の役目だからだ。そして母は私たちを捨て、『死』のある世界に戻っていった。
単純明快な事実。疑念を挟む余地はない。
なのに、全身が動かなくなる。肯定出来ない。肯定したくない。
感じてはいけない気持ちが私の全身に満ちる。
やめて、と自分に向かって呻く。
気付いてしまったら、多分、ひとりでは立っていられなくなる。私の側には
誰もいない。家族も、友人も。私を捨て、あるいは私から遠ざかった。
だから誰もいない。
「……僕らを殺すつもりかい?」
そのとき。静かな声が目の前でした。愚かしいことに、飄が私の手前に立っていた。
私たちを守るように。
ちょっと。あなたを助けに来てやったのに、これじゃどちらが助けに来たのか
分からないじゃないか馬鹿。
どんぐりは心外だと言いたげに
「酷い言いぐさですね。良いですよ、他地区に行きますから。元々
数を減らすためと言うより、手慣らしのために来たんです。
第一、殺せるのは神さまだけでしょう。わたしたちは死なないんだから。
爆発しても、人の世界に戻るだけです」
私はウリ坊を抱き寄せる。ウリ坊はきょとんとしたまなざしで私を見た。
「……こうしていられないなら、残された方は同じなんです」
分かっている。
私は、悲しいのだ。ずっと。