ウリ坊(完全版)
豆腐に水(ウリ坊)
恵が庭で何かしていたので、後ろから覗く。彼女はパック入りの豆腐に
じょうろで水をやっていた。
銀色のじょうろと緑の下生えに置かれた豆腐が奇妙な色合いでマッチングしている。
「何やってるんだよぉ?」
「苗床に水をやっているんだけど」
「と、豆腐に苗植えたのかよぉ」
恵は水やりの手を止めた。うろん気なまなざしで
「豆腐は栄養があって、かつ水気を多く含んでいる。苗床にちょうど良いとは
思わないかね」
そういうものだろうか。
「でも、植物は嫌いとか言って無かったかよぉ」
この家に庭はあるが植物の類は芝生しかない。あとはあっても無駄だと恵は言っていた。
「植えたのはカイワレ大根の種。誰が観賞用の植物なんて植えるものかね」
おいらは庭先にカイワレ大根が並ぶ様と、ひまわりが並ぶ光景を想像した。
どちらも苗床が豆腐なら奇妙なだけだが、上だけ見るとひまわりの方が
断然良い。
「でも、花ならきれいだよぉ」
「だからどうしたと言うんだね」
恵は冷たく切り返して来た。
「花が咲くのは、植物にとって実を付けるための行為だよ。美しさで
比較評価することに、なんの意味があるんだね?」
「意味はないよぉ。でも、お花がきれいだと見ていて嬉しくて、
ほわっとなって、気持ちがあったかくなるんだよぉ」
「そうかね。私にはよく分からないけれど」
恵は何故かかすかに笑う。何の意味もなさそうな表情に、おいらは戸惑う。
「ど、どうしたって言うんだよぉ」
「何が」
恵はすっと無表情に戻り、銀のじょうろを地面に置いた。
いつもと変わりない様子。でもおいらの心は、何かがおかしいと囁いてくる。
飄が花を見たらきっと笑うだろう。春は真冬と梅のために摘んで行って
やるかも知れない。真冬は可哀想だと言いきっと摘まない。こぶたなら
盗んで売るなり、嫉妬に狂って踏み荒らすなりするだろう。
気付かなかった。物心付いてからほとんど恵の側で過ごし、比較する対象の
いなかったおいらは、今まで彼女のおかしさに気付いてはいなかった。
「意味がないと、ダメなのかよぉ……?」
絞り出した声が、自分にすら悲しく届く。
「おかしな事を言うんだね」
恵は不思議そうにおいらを見る。
「どうでも良いじゃないかね。意味のないことなんて」
もしかして、彼女は何も感じてはいないのか?
今年の春や飄といろんな馬鹿をやっている最中、彼女が一歩離れたところで
様子を眺めていたことをおいらは知ってる。
見ている最中、嬉しくも楽しくも、また寂しくもなかったのかも知れない。
寂しいと思った。何も感じずに側にいられるのは寂しい。だってそれじゃ
おいらはいてもいなくても一緒だ。
彼女はああ、と思いだしたように言う。
「これは試作品だから、育ったらウリ坊が試食してね」
むか。
おまけに自分勝手だし。
「……カイワレだけをかよぉ」
おいらは恨みがましく恵を見上げる。彼女なら言い出しかねない。
「何を馬鹿なことを」
だが、彼女は豆腐の苗床を持ち上げて言う。
「この上に直接醤油と大根おろしをかけたら、おかず一品になるんだよ」