ウリ坊(完全版)
コーヒー風邪(ウリ坊)
おいらは朝方から寝込んでいる。
恵に連れられていった動物病院での説明によると、粗悪なコーヒーが元で
風邪を引いたらしい。恵は家にあったコーヒーを全てゴミ箱に捨ててしまった。
楽人は生で見る外の世界が珍しいのか、恵の言うことを聞かずに駆け回っては
怒られている。今日は店を休んだらしい。子育てペットとしてこのていたらく。
おいらは情けなくなって恵を見上げた。咳も鼻水も出ないが、熱で視界が
うるんでいる。
「ごめんよぉ」
恵は汗で湿ったおいらの体を拭きながら、やっぱりいつもの無表情で
「悪いと思うのなら早く治すことだね」
「楽人はどうしてるんだよぉ」
「あのクソガキ、私の仕事の資料にシール貼りやがった……障子紙を破るどころか
桟壊すし……」
恵の手がわなわなと震えている。あわわ、早く回復しないと楽人が危ない。
風邪で寝込んでいるときはいつもおかしな夢を見る。コーヒーに当たった
という思いがあるせいか、やたらとそれが出てきた。しかもただのコーヒーではない。
百杯飲めば風邪が治るというおまけ付きだ。
何とか全部飲み終えて目を覚ました。
体が軽い。軽いけれど……コーヒー臭い!
ベッドの周りがコーヒーカップだらけになっていた。おいらは跳ね起きる。
頭上に影が降り、ひやっこい手が額に当てられた。
「……熱、下がったみたいだね」
恵だった。少し辛そうに目を細める。寝ていないのか目の下に隈が出来ていた。
医学書を胸に抱いている。
彼女の肩越しに窓が見える。夏の朝特有のぴんと張った日差しが飼い主の髪と
おいらの寝ているベッドのシーツを照らし出す。
一晩中、コーヒーを作ってくれたらしい。夢じゃなかったのか。
何と言ったら良いのか分からずに、呆然と恵を見つめる。彼女は
目をそらし、苛ついた調子で言い捨てた。
「熱が下がったんなら早く片づけて。私は仕事に行ってくるから、楽人をお願い」
医学書を勉強机に置いて部屋から立ち去る。
おいらは医学書を手に取った。レポート用紙が一枚挟んである。
紙は、殴り書きのレシピとコーヒーのカスで真っ黒だった。
おいらは温かい思いでコーヒー臭い紙を抱きしめる。