ウリ坊(完全版)
珍しいこと(ウリ坊)
その家は、夏の家だった。おいらは恵に連れられてここに来ていた。
初めて来る家だった。古めかしい和風建築で、軒先には「気温向上委員会」の
看板がある。「氷」「焼きそば有ります」のペナントがぱたぱたとひらめいていた。
「相変わらず、馬鹿らしい看板だね」
恵は一言で切って捨てた。おいらは恵の手をぎゅっと握る。
「なんだかここ、怖いよぉ」
恵は困ったように、それでも珍しく微笑んで見せた。
「……知人の家なんだ。怖い相手じゃない」
迎え風がおいらたちを奥へと案内した。家屋自体は古いが、内装は
塗り替えてあるみたいだ。畳敷きの六畳間、座布団をしいただけの上座。
「これは久しい……」
上座の空気の塊が言葉を発した。低く、床全体に響く声だった。恵は
座布団の上に座ると、気安い声を上げた。
「お久しぶりです、夏親分」
おいらが座っている側の壁には、何も映っていない写真が額縁に飾られ
ずらりと並んでいる。夏で終わる名前が必ず入れられていた。
「元気そうで何よりだ。神さまとはどうだ? いや、お前にとっては爺様か」
おいらの中で楽人がうごめくのが分かった。おかしいな。おいらの中に
入っているとき、おいらとは気持ちが一対になっているはずなのに。ひょっとして、
二人のつまらなさそうな「大人のお話」に興味があったりするんだろうか。
つまんないなぁ。
恵は嫌味っぽい口調で
「仲良くしていると思うんですか。私とこの子にとっちゃ死神なのに」
ああ、イヤだなぁ。子供に動かれるとお腹が気持ち悪くてしょうがない。
「それは仕方がない。神さまの仕事の内だ」
「……ええ、そうですね」
恵がぽつんと言った。妙に悲しげな声だったのでおいらは慌てて彼女を見る。
けれど、彼女は常と変わらぬ無表情で前を見据えていた。
「今日呼んだのは他でもない、お前にこれを返そうと思ってな」
すきま風が外から入ってきた。小さな紫の風呂敷が吹いてきて、ふわりと
恵の手の中に収まる。風は渦を巻き、ふわり、と布を四方に広げさせた。
緑色のウズラ卵のようなものが三個載っていた。恵は顔色を変えて夏親分を見た。
「何故あなたが持っているんです!」
「裏花屋をやってたお前のお袋さんに託されたんだよ。4年前にな。お前が
使わないように、と預けていきおった。だが、もう返しても大丈夫だろう。
お前はよくやっている」
恵は俯いた。一瞬、泣き出しそうな目をして、夏親分を睨み付けた。
「……みんなが関わってたんですね。兄さんと姉さんは、みんなで殺したんですね」
一語一句、噛みしめるような強い声。少し空いた間に、低い声がぽとんと落ちた。
「兄妹で子供を作ったんだ。それ相応の制裁は受けてもらわなければならない」
「用件はこれだけですか」
「そうだ」
「私、もう帰ります」
恵は立ち上がると、足早に家を出て行く。おいらは慌てて後を追った。けれど、
慌てる必要は無かった。
恵は家の前でしゃがみ込んで泣いていた。丸くなってしまうと、意外と
小さい。おいらはこわごわと手を伸ばす。
「な、何でないてるんだよぉ」
「うるさい!」
語気も荒く叫んで、再び膝に顔を埋める。彼女の、お腹から絞り出して
地面に叩きつけたような声は、はっきりとおいらに届いた。耳と言うより
体全体に響く。
体全体だから当然胸も含まれているわけで、悲しくなって立ちつくす。
うるさいと言われたことが悲しいのか、彼女の声の響きのせいなのか。
おいらは途方に暮れたまま、珍しい様子の飼い主を眺め続けた。