ウリ坊(完全版)
大好き(ウリ坊)
朝、おいらは飼い主からマリモをもらった。蹄の上にぽとと乗るくらい小さな
マリモである。
「ポシェットに入れておくんだね。外電話をかけるときに使う物だから」
恵はそれだけ言うとさっさと支度を済ませて店に出かけていった。いつもの事ながら
愛想もクソもない。
おいらはマリモをよく見ようとつまむ。窓から差し込む陽の光にすかした。
色つきの釣り糸を七色くらい絡めて丸くしたような凝ったつくりだ。
マリモはおいらの目の前で、自力でくるんと回転して見せた。
「こんにちはでしゅう」
どこか聞き覚えのある幼女の声だった。
ああ、恵に似ているのだ。気付くと妙に親近感が沸く。
「こんにちはだよぉ」
あの人は頭は良いけれど、ちょっと情緒に欠けていると思う。こんな可愛らしい物を
ポシェットにしまっておけだなんて。
それからというもの、寝ぼけ眼に朝日が眩しかったり、顔を洗ってちょっと
さっぱりしたり、昨夜の雨で出来たとおぼしき水たまりを見つけたりしたときは
必ずマリモを取り出すようになった。
暗いポシェットから出てきたマリモは、細い繊維にまとわりつく太陽の光を
はねのけようとするかのようにせわしなく動き回る。
「気持ちいいでしゅう」
マリモは必ずそう言うのだった。
そうか気持ちいいんだ、と思うとのど元をくすぐられたみたいな笑いがこみ上げてくる。春の風の暖かさも、踏む地面の柔らかさ、芝の広がりもマリモに教えてやりたかった。
教えることは、見つけようと思えば割といっぱいあるのだ。
いつも通りに近所を歩き回っていると、飄と偶然出会った。
「あれ、何してるの?」
「散歩だよぉ」
「ふぅん。ヒマならちょっとお茶していこうよ。おごるからさ」
おいらはポシェットにちらと目線を走らせる。このテの忙しさは
いくら言葉を尽くしても大人には伝わらないものだ。
まぁ、時間はある。ここで彼にお茶をおごってもらうのも悪くない。
「行くよぉ」
「本当? 嬉しいな」
「おいらポテトが食べたいよぉ」
駅前通に新しいバーガーショップが出来たのだ。一度行ってみたいと
思っていたのだが、恵がジャンクフードが嫌いなのである。匂いすらダメなので
一緒に行く機会がない。
「ポテトかぁ。夕飯食べられなくなっても困るし、ちょっと恵さんに聞いてみるね」
言ってズボンのポケットからマリモを取り出す。あ、とおいらは声を上げた。
「それ使うのかよぉ」
「うん。もしかして使ったこと無いの?」
「そうだよぉ」
「じゃあ、見て覚えて」
「……飄さんはもしかして、携帯持って無いのかよぉ」
「無いよ」
彼はマリモを道ばたにある緑の箱に入れた。聞き慣れたマリモの声が箱から響く。
おいらは操作方法を覚えようとじっと見ていた。通話が終わると、緑の箱の上から
ポインセチアが生えた。いかにも造花臭い花だった。
彼はポインセチアを手に離れる。ちょっとまってくれよぉ。おいらは呼び止めた。
「マリモはどうするんだよぉ」
「え? マリモはこれに化けたんだけど」
「え……」
外で電話するときに使う物だから------
恵の声が脳裏に蘇る。
嘘だ。
だってマリモはきれいで、自力で回ったりするのに。喜ぶのに。気持ちいい
でしゅうが口癖だったりするのに。造花になるよう設定されているだなんて、
そんなの嘘だっ。
おいらはマリモの入ったポシェットを、まるで何かから守ろうとするみたいに
抱きしめた。涙が溢れてくる。
飄はぎょっとしたようすで
「ど、どうしたんだい。ポインセチアは嫌いだった?」
「それはどうでも良いんだよぉ。おいらのマリモは造花じゃないんだよぉ。
マリモは可愛いんだよぉ」
「そりゃ、マリモは藻だけど……びっくりしたのかな」
「だから違うんだよぉ。マリモが造花じゃダメなんだよぉ。だってマリモは
可愛いんだよぉ」
何だ、と彼は頬をゆるめた。
「嫌なら使わなければ良いじゃないか。ほら、涙を拭いて」
ハンカチを取り出す。おいらは首を横に振る。
急な用事や事件はいつだって起こりうる。外電話を絶対に使う時は来ないと
言い切れない。だから恵はおいらにこれを渡したのだ。携帯は持つのは
早いと言っていたし。早いって後何年だろう。
おいらは泣きながらそう説明した。
飄はハンカチを手に、曖昧な笑みを浮かべた。
「じゃあウリ坊のマリモが造花になったら、君は捨てちゃうんだね?」
おいらはむっとして顔を上げた。
「冗談じゃないよぉ。おいらならええっと、雑貨屋で可愛いリボンを見つけて
飾ってあげるよぉ。そうすると可愛いんだよぉ。おいら知ってるよぉ」
飄は微笑んだ。向けられる視線の柔らかさに、心が和む。
「じゃあ、マリモだった造花もいつもきれいで、君の心を嬉しくさせてくれるよ」