ウリ坊(完全版)
春と真冬(恵)
こぶたをレモンイエローにする準備を真冬に手伝ってもらっていたので、
随分と遅くなってしまった。店を閉めてバーまで送るよ。そういうと、
真冬は申し訳なさそうにぐだぐだ言っていた。
「気にしないで。ここ、予約制の店だから。開けてても日和見の客しか来ないし」
9時から20時まで営業する通常のペットショップと違って、裏ペットショップは
神さま関連の店である。別に法には触れていないが、おおっぴらに来るタイプの
店でもない。さっきのこぶたは特例だ。うるさそうだったので、つい。
「そうですか? すみません……」
「良いって。手伝ってもらったしね。ウリ坊は留守番してて。一緒に帰ろう」
今朝の買い物もチビには重いだろうし、私が持って、一緒に帰った方が合理的だ。
「餌やりとかしなくて良いのかよぉ」
私は檻や水槽をざっと眺めると
「一応、あれらは食べるふりはするけれど生きてる訳じゃないから。必要ないよ。
排泄もしないし汚れない」
しかし本当に必要ないのは案内の方だった。今年の春が向こうからやってきたんである。
今年の春は空気なので手はないが、風圧でドアが開く。
その瞬間。
ぐわんがらがっしゃーんっ。
春雷がテーブルに直降下した。
眩しくて、私は目を瞬かせた。
ちょうどそこにいたウリ坊が、焼きおにぎりの焦げた物みたいになって転がる。
自分の表情がこわばるのを感じた。じっと見据えると、きゅう、と弱々しく鳴いた。
どうやら大丈夫そうだ。
「だ、大丈夫かっ」
事態を引き起こした張本人が慌てた様子で叫ぶ。私は馬鹿者と言い捨てて、
バケツに水を汲んでくる。
黒こげのウリ坊に水をぶっかけた。
水圧で焦げ目が剥がれ落ちて、いつもの茶色い毛並みが現れる。
「ふぅ。酷い目にあったよぉ」
ウリ坊は大きな焦げカスから顔を出し、苛立たしげに毛繕いを始める。
今年の春が気の抜けた様子で呟く。
「……世の中ってどんどん便利になっていくよな」
あまり関係は無いだろう。
「取れにくいよぉ。パンならまだしも、おいらを焼くとお焦げが毛に絡まるんだぞぉ。
どうしてこんなことをするんだよぉ」
「ウリ坊、論点がずれてる」
私は突っ込む。
今年の春は全体を桜色に染めた。照れくさそうに叫ぶ。
「惚れた。惚れたんだよあの女にっ」
ウリ坊は目を丸くする。
ふぅん、と私は呟く。季節も恋をするのか。私も昔は気の迷った時期があったけれど、
今年の春においては血迷っているように見える。不思議なものだ。
今年の春は私たちの前を通り過ぎ、同じく季節の、真冬の前にただよった。
「あんたは何の季節だ」
「ま……真冬です。去年と今年の」
真冬は雪で真っ白になる。こちらは寒い。
「年上か、悪くない。俺は今年の春だ。
真冬、俺と結婚してくれ」
即結婚か……。
紅と白の空気はしばらくの間滞っていた。
やがて真冬がかすれた声で「私なんかでよろしければ」と口にする。
「どうして急にそうなるんだよぉ」
「気にするな!」
今年の春は浮かれ調子で言う。
「そうと決まれば結婚式だ! 恵は仲人、ウリは進行役をやってくれ!」
「悪いけどここ、裏ペットショップなんだよね」
「気にするな!」
浮かれる今年の春と、白くなって恥ずかしがる真冬。似たようなカップルを
私は昔見たことがある。彼らは結局、幸せにはなれなかったのだけれど。
そうだ。これだけは言っておかなければ。私など目に入ってない
ふたりに、わざと冷たく言い捨てた。
「結婚は良いけど、子供は作らないでね。人口過多になるよ。……私たちは
死なないんだから」