仏葬花
今までずっと話しかけてきた。
「お願いだ、俺は、お前を助けたい。俺が人間を説得する」
雷に打たれたかのように走り出した。
森のずっと上のほうで煙が上がっている。でもそこに着く前に人が倒れているのを見付けてしまった。血が広がる中心に彼は横たわっていた。
発見した自分は本当に運がない。
シヨウは近づいた。靴に血が付く。彼も気が付いた。でも動けない。目線だけがシヨウを捉える。
「やっぱり俺の声、聞こえてなかった、っぽい」
もう助からない。剣を振るうにあたって人体の勉強はした。
「あいつのこと、頼む、わ」
「ごめんなさい。私の力ではきっと何も救えない」
笑おうとしたのだろう。でも途中で引き攣り、笑えなかった。
「ほん、っと、あんたって、冷たいのな」
失敗した。自分の性分を呪ってしまう。ここは嘘でも何でも、止めると言うべき場面だった。せめて言葉だけでも優しく送りたいのに。治療の仕方を覚えていない。剣の世界に入ってそれで死ぬのなら仕方ないと思っていたから。それが今は悔やまれる。死んでいく人間に、シヨウは何もしてやれない。
彼は静かに目を閉じた。
ずっと見ていた。こういう場面は目を逸らしてはいけないと思っている。涙で目の前が見えなくなるなんて愚かすぎる。自分のしてきた結果から目を背ける行為だとさえ思っている。
息を吐く。ずっと止めていたような感覚だった。立ち上がる。もうここに用は無い。
急いで下山した。途中で誰にも会わなかった。山を出たところでジイドがいた。人が集まっている。皆、バケツを持っている。畑の用水路から水を汲んでいた。山の崖から一気に降りる。下は草と土。着地。
「シヨウ! 大丈夫?」
ジイドが気が付き駆け寄ってきた。
「フリークスを見た?」
「火がどんどん広がってる! 早く消さないと・・・でもアレシュトルがどこかに行ったまま戻ってこないんだ。あいつ完全に閉じてて全然見えなくて。どこかで見なかった?」
「栗毛が死んだ」
シヨウは栗毛の名を知らない。ジイドの目が見開かれる。
「何、それ。シヨウ、何があった?」
「あなたは、何のために今日、山に入ったの? フリークスを助けるためと言ったら大笑いするけど、どうして?」
「アレシュトルはどこにいる?」
さすがに有無を言わせない表情だったので、折れる。
「ここから真っ直ぐ、赤い実の近く」
ジイドは駆け出す。バケツを持った大人に声をかけている。シヨウはそれをぼんやり眺めて、歩き出す。街のほうへ。
8
街の注意は山の火事に向けられていた。人の波とは反対へと歩く。
フリークス。それを排除しようとする人間達。どちらが善でどちらが悪か。同じ地に住んでしまった生き物。どちらがどうなってもどうでもいい。でもシヨウは、それなのに、どうしても気が治まらない。そんな争い事はやりたい人間がやればいい。でも、それに巻き込まれた人は?そうまでして排除する必要性がまったくわからない。くだらない。くだらない。何が面白い?人間は本当にこの星に必要?なぜ、ここにいる?破壊するだけ。何も生まない。生み出すのは毒だけ。自分たちの首を絞めるとわかっている行為をやめることができない。子孫に輝く未来をと言うけれどそれとは真逆の行為ばかり。やればやるほど逆効果なのは少し考えれば誰でも辿り着く帰結。それでもやめない。
(知っている。今日が良く終わればいい。自分が苦しまなければいい。自分のしていることは大きい星にとって小事。私もそう思う。所詮人間か・・・)
長い夢をみていたように目が覚める。目の前にフリークスがいる。
これは幻?この前の続き?
違う。
農道の真ん中。横の藪からフリークスは出て来た。
本当に、単なる偶然の遭遇だった。
「私の言葉が、わかる?」
ゆっくり話しかける。フリークスは逃げなかった。
「壊したければ壊せばいいじゃない。腹が空いて、我慢できないのでしょう? 人間が憎くてしょうがないのでしょう? そんなに生きたいのならどこへでも行ける。でもあなたはそれをしなかった」
シヨウは無手だ。畑の真ん中。砂利道。
辺りは、誰もいない。
「それなら行きなさい。納得のいくまで、やればいい。私は助けない、でも邪魔もしない」
諭しているのではない。
まったくの逆。
フリークスは痩せている。毛は汚く艶がない。骨と皮。肋骨が鮮明に浮き上がっていた。
(どうやって狂うのだろう。人間への憎悪? 空腹、環境の変化、遺伝子・・・)
星の全ての生物が人間に戦いを挑むとどうなるだろう。昆虫の数だけで人間の完敗か?どちらの味方でないのは星だけ。星は見ているだけ、生命を生むだけ。人間が蝕んでいるのさえ気づかないよう。
フリークスは行ってしまった。シヨウも追いかける。すぐに見失うがこの先は知っている。そこに討伐隊もいるだろう。
広い場所に出た。元々は民家の敷地で、崩れかけた煉瓦が更地を囲んでいる。滅多に誰も近づかないのか草が好き勝手に生えている。細い道が一本、向こうの木々の間に真っ直ぐに伸びていた。背の低い木が所々生えており、放っておけば数年後には森林になりそうだった。
シヨウはその場所が見渡せる高台の上にいた。更地の真ん中に四つの車輪が付いた荷台。赤い花が入っている。待ち構えているのは顔は覚えていないが朝見た人間達だろう。周辺の背の高い草の間にも隠れているに違いない。どんな作戦かは彼女は知らない。
高台の塀に肘をつく。退屈な授業を聞くように、眺めるだけ。下にいる人間達にもシヨウの姿は見えているだろう。彼女のような、一般的に見た子供はただの足手まとい。
後ろから足音が近づいてくる。続いて、息。勢いを殺すために塀にぶつかるように張り付いたのは緑の髪。長い前髪を整えようともしない。
シヨウを一瞥。何かを言おうとして、けれど言葉は出てこなかった。息が切れている。
「ジード、どうするの?」
彼は顔を上げ一瞬考えた顔をしたが答えた。
「どうするって、止めないと!」
「止めるって、人間を? フリークスを?」
「両方だよ!」
「そんなに甘くない!」ジイドに負けない勢いで返していた。「皆が皆、この星で生きていけると、本気で思っているの?」
彼は多分心の底からわからないという顔をしている。
「なぜ?」微笑んだ。「この星はノス・フォールンを受け入れた。星は全ての生き物に優しいよ」
金色の目が見据える。
「シヨウは考えない? 人と、星が、皆で生きようって。共存しようって」
動けなかった。
「両方? 共存?」
彼女には思いつかなかった考えであった。
これはなんだろう。怒りに多分一番近い。
「シヨウは人間が嫌い?」
「自分が良ければそれでいいって、失ってから大切だと気付くなんて、馬鹿みたい。取り戻せないものは本当にあるのに」
「でもそれが、人間てやつだと思うな」
そして空き地へと続く古びた煉瓦の階段を下りていった。
わからない。否、わかりたくなかった。
こんなことを言う人間がいるなんて、認めたくなかった。
ずっと一人で生きてきた。故郷を出て来た。
それから剣の修行ばかりしていた。
それは充実していたけれど、自分の中で完結してしまうもの。
常に自分一人の世界。意外が無い世界。
(だから他人が存在するのか?)
階段を下りた。