仏葬花
「ちょっと何してるの!」
背後から草の踏む音と共にジイドの慌てた声が降ってきた。
シヨウの手を鷲掴む。彼女は頓着しない。まるで気が付いていないように。
フリークスの動きは徐々にゆっくりになる。
全体の動きがなくなってもまだあばら骨が上下している。
それが完全に動かなくなるまでシヨウは見ていた。目を離さなかった。
奇妙なくらいに静かだった。
ジイドが手に布を巻いてくれた。見た目ほど大したことはない。
「仕方ないよ。誰にもどうすることも出来なかった。助けも請いていなかった」
「・・・・・・」
見ればわかること、口に出さなくてもいい核心を言うことになんの意味があるのだろう。そう思いながらきっとこれがこの男の性質なのだと思い当たる。
「さて、もう行こうか」かごを持って立ち上がった。
手を差し伸べてくれていたことにシヨウが気が付いたときには、もう立ち上がる動作をしていた。シヨウの視線に気が付いたらしい。手が宙で止まっている。
今更その手を取るわけにはいかないので話題を変える。
「あなたの用事は?」
「俺の用事につき合ってくれるの?」シヨウが頷くと満面の笑顔になる。「ありがとう〜」
でもすぐに笑顔が陰る。
「本当、大したことないんだけど、でもシヨウさんには見ておいてもらいたいんだ。うーん、でも危険かもしれない」
「危険? なんですかそれは」
思わず笑ってしまう。反射的に腰あたりに意識を向ける。ジイドも同じく意識を向けた。彼の顔を窺ったがまだ渋っている表情だった。こういう感覚がまだ古い、とは一応口に出さない。シヨウは率先して歩き出す。ジイドもついてきたので同意を得られたものとした。
更に山の奥に入っていった。昔は人が通っていたと思われる。今はほとんど獣道になっている道もどきをジイドが先頭で歩いていた。木々が濃くなり葉の間から光がチラチラ差し込む。
崖のように段差を岩が作り、その岩に隙間がある。岩の上には木の根が覆い被さって、岩の上からは下に穴が開いているのは見えない。
明らかに怪しい穴の前で紫陽は聞いた。ジイドは穴に入る気満々だった。
「何・・・この穴・・・。何が住んでるの?」
「最近街に出没してるフリークスの巣、と思われる」
いつもとは若干違うが笑顔のままで言う。
「ちょっと待って? なぜあなたがそんなことをしているの?」
「ひ、暇だったもので」
「はあぁ?」
ジイドが四つん這いになって中に進んでいく。
止めるつもりはないが自分は穴にも近づかない。気持ち低めに声をあげる。
「中にいたら、どうするの!?」
「んー大丈夫。今、中には誰もいないみたいだよー」
そのまま中に入っていってしまった。穴の中は外からでは暗くて見えない。主は今いないらしい。いないとわかっていてもためらう。
「くっそ」
舌打ちをしシヨウも中に入る。中腰くらいの高さで奥までは意外に深くなかった。穴の奥まで行くと大人二人が横たわってくつろげそうな空間があった。穴はそこで終わり。最深部は暗いと思っていたが、岩の天井の隙間からは明かりが差し込んでいた。
(綺麗・・・)
「雨の日は大変そうだよね、ここ」
顔を向けるとジイドはしゃがんで細部を見回している。
仕方ないので黙っていることにした。
なんとなくだが息苦しい。手で口と鼻を覆う。そこまで奥まってはいないし空気が滞っているわけでもない。
「んーじゃあ帰ろうか。あ・・・シヨウ・・・」
「はい?」
「外に何かいる」
外から見えない位置へと素早く移動する。心臓が一気に高鳴った。二人は穴の両側から外を窺がった。
「フリークス? 人?」
「・・・わからない・・・」
目をこらしても明るい外を伺い知ることはできなかった。
この一本の通路にフリークスが入ってきたらここが二人の墓場となるだろう。
シヨウは一瞬考えて中腰で進みだした。
「えっちょっと、行くの?」
「ここに入って来られたらもっと危ない。外で待ち伏せられているのだとわかっているだけまし」
「でも」
「決断が早いほうがのちに時間的余裕が得られる」
「・・・・・・」
「かご」
意外な速さでかごがシヨウの手に乗る。受け取るなり逆さまにする。赤い実をその場へ全て捨てる。
「行くよ」
中腰で外へ走り出し、出口直前に篭を外へ投げた。一拍置いて二人は一気に外へ出る。
緊張が走る。
合わせている背中が少し触れる。熱と上下する体の動きが伝わる。
自分の鼓動に飲まれないよう擦れる葉音一つにも神経を研ぎ澄ます。
鳥の声。流れる雲。踏みしめる草。石ころ。
剣の柄。
しかしいつまで立っても何も来ない。何も起きなかった。
街の方角へ急いで向かう二人を、一部始終見ていた獣の眼はもう別の方を向いている。
穴に一目散に駆けていった。
緊張と山の道ではない道を歩いたせいでいつもより疲労した。
そのうち開けた空間に出た。赤い絨毯になっていた。
「うわぁ仏葬花がいっぱい生えてる。こんなところがあったなんて知らなかった」
血を染めたような赤い花びら、葉の葉脈は真っ直ぐだ。土の下では根で繋がっている。シヨウは構わず花を踏んで進んだ。ジイドは花畑の手前で止まったままだ。
「この花って・・・。あの、危なくない?」
シヨウは面倒くさそうに振り返るだけ。
「ここって村の墓場じゃないよね?」
「獣の死体くらいはあると思いますよ。 嫌なら回ればいい」
花の群生地を避ければちょっとした遠回りだ。ほんの少しだけ。
「人間の死体は無いってことで、良いのかな。・・・よし、傷は特になし」
自分の掌、肌が出ている部分を確認、おそるおそる花畑に足を踏み入れるジイドの姿が少しおかしかった。
「危ないよ。傷なんかあったら、それこそ傷どころじゃなくなるよ」
「切り傷くらいじゃこの花は襲わないでしょう。もっと出血しないと」
構わず歩く。
「それにしてもこんなところがあるなんて」
ジイドは足早だ。
「普通、村の近くにこんなに仏葬花が咲いている所なんてないよな」
もうシヨウに追い付いている。
「というよりこの現代に」
「この街はまだ仏葬花の風習が残っているのかな」
「あれ、でもどっかで墓場は見たような」
「ここで豆知識! どっかの国では歓迎用の首飾りにしてるんだよ」
「自生かなー。自生するっけ?」
「物騒、仏葬、正式な名前は・・・ エメレーカ?」
「今時の人達は仏葬花の恐さを見たことあるのかなー」
「人を喰う植物なんて、フリークスよりもよっぽど怖いし」
「なぜ?」
シヨウが立ち止って聞き返した。
「それが生きるための行動だから。あ、ちょっと違うな。意思がないから怖い、かな」
一拍も開かず答えが来る。
「人間の心のほうが怖いと思うけど」
「そう? ある程度予想出来る場合があるし、自分だって同じ器官を持っていると考えればそんなに怖くないと思うよ」
「つまり、何を考えているかわからないから怖い?」
「うーん・・・わかりやすく言えば、そうかな」
「花なんて何も考えていないでしょう」
「何も考えていない、はちょっと違う。どの生き物も少なからず思考してるよ。それが・・・人間の頭脳ほど高等じゃないってだけで」
街道に出た。街を見下ろす橋。この街は地形的に行き止まりなので、誰もがこの橋を渡って街へ入る。雲が街へ影を落とす。