無言歌
額を離すと、再び自分の姿が窓に映し出された。貧弱な体格の、疲れた、それでいて物欲しげな表情の中年男が立っている。隠微な何かを纏うその顔の部分を、吉野は右手のひらで押さえた。ガラスの冷たい感触が、微かに残った関目の余熱を奪っていく。
それを感じながら、吉野は目を伏せた。
「昨日は本当にすみませんでした!」
寝起きの開口一番、関目は吉野に頭を下げた。覚えているのは二次会に流れたところまでで、それからは記憶に残っていないと言う。
「これ、係長の眼鏡ですよね?」
関目の手のひらには、へしゃげた吉野の眼鏡が乗っていた。レンズは割れていないものの、かけて帰るのはとうてい無理な有様である。それを差し出した関目の表情は、申し訳なさ度がMAXだった。吉野は破顔して眼鏡を受け取る。
「すみません、帰ったら弁償しますから」
「いいよ、家にまだ予備があるから。それより一緒におまえを運んでくれたヤツらに礼を言っておけよ」
吉野はそう言うと顔を洗うために、先に洗面所に入る。
洗面台の鏡に映る顔を見た。寝不足で目の下に薄っすらと隈らしきものが出来ていた。疲れた顔には違いないが、夜中に窓ガラスに映し出されたそれとは印象が違う。
――いつもの俺だ
吉野はホッと息を吐き、身支度を手早く済ませて関目と代わった。
帰りはチャーターされたバスに分乗し、最寄の新幹線の駅で解散。関目は部屋まで運んでくれた後輩達を、新幹線に乗り込む前につかまえて礼を言った。後輩達はともかく、講師を務めた諸先輩の突っ込みには容赦がない。関目はバツが悪そうに照れ笑いを浮かべる。
「参りましたよ、俺、そんなに酔ってました?」
頭をかきながら、関目は先に新幹線に乗り込んでいた吉野の隣に座る。
「いや、タクシーに乗って寝入っただけだ。大城さん達にかつがれたんだよ。実害は俺だけ」
「本当にすみません」
彼は眼鏡のない吉野の顔を見て、あらためて謝った。
「それはいいけど、帰ったらもっと大変だぞ。ちゃんと菫に言い訳してくれよ、俺が飲ませたんじゃないって」
「酒臭いの、昼までに取れるかな」
関目は手のひらに息を吹きかけて臭いを確認し、顔をしかめる。その様子を見て吉野は笑った。
新幹線が出発すると、途端に睡魔が吉野を誘う。