ひとつぶ
私達兄妹は幼い頃、確かに父が好きだった。母は彼の放蕩に疲れてヒステリーを起こしやすくなっていて、子供にとって厳しい母親だった。父は自分が好き勝手にしているせいか子供にも甘く、母のヒステリーから逃れる意味合いもあって、よく私達を連れて近くの海に出かけた。夏休みにはキャンプ道具を車に積んで、泊りがけの遠出になることもしばしば。冬はスキーや雪遊びに連れて行ってくれた。ただし、どのシーンにも、若くてきれいな女性が必ず付録でついて来た。彼女達は総じて子供に優しく、ガミガミ叱る母よりも私達は懐いていたように思う。私達が幼い頃の父には、多少、彼自身の楽しみを優先したところはあっても、良い思い出の方が多い。
「したら、顔、見てやったらどうな? 明日んなったら昼にはもう焼き場や。周りに人もおるし、ゆっくりお別れ出来んろう?」
「僕は生きてるうちに、最後と思うて会うてますから」
母に頼まれて、一度、見舞ったことがある。妹の美和は父の生前は、ガンとして会いに行かなかった。他県に住んでいて仕事が忙しいと言う理由をつけていたが、会いたくないと言うのが本音だった。
私は――私も、最初は母の言葉に従わなかった。妹よりはずっと遠くに住んでいたし、常に仕事に追われていた。「一生後悔する」と母は何度も口にした。別にそれに絆されたわけではない。娘に対してより息子に対しての方が容赦なく、あまりにしつこい電話攻撃にとうとう根負けしたのだ。
「別に、みんなと一緒でもかまんのです」
「聡が一等、キツイな」
伯父は大きくため息をついた。本当は尚も一押ししたいように見受けられたが、焼香のため母方の叔母が入ってきたので、言葉はそれ以上、続かなかった。多分、私の顔には「見るもんか」と強い意思表示が出ていたことだろう。「しようないな」と伯父は再度嘆息し、叔母の方に身体をずらした。
少し休んできたらと言う叔母のありがたい言葉に応えて、私はその部屋から出た。
背中に棺の存在が視線のように感じられたが、私は振り返らなかった。
母と共に看病し最期を看取った父の交際相手の女性は、棺が運び出されるのを見送ってひっそりと帰って行った。彼女の去り際、私は遺影に使った写真を手渡した。信州かどこかに友人達と旅行した時に撮られたスナップ写真で、楽しげに父は笑っていた。出て行く前のものだから、ずいぶんと若い笑顔だ。