小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
セールス・マン
セールス・マン
novelistID. 165
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Twinkle Tremble Tinseltown 6

INDEX|8ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

 ついさっきまで鉛筆を一本残らずへし折るのに忙しかったため、指は黒鉛で黒く汚れている。次のクロッキー帳から静物画を破り取り、細かく千切っていく。この調子で行けば、積み上げられた大量のスケッチブックを始めとした、狭い部屋の半分近くを占拠する画材や作品ががらくたとなり果てる頃には、日も暮れているのではなかろうか。手を貸すことはしなかった。端くれとはいえ芸術家らしく、ジンクスを信用する男だ。彼なりの秘蹟なのだろう。
「おまえが上手くトンズラこいたのはムカつくけど、まあ、それも時の運だからな」
 来週の火曜日から、ダドリーはコネティカットのダンベリー連邦刑務所に収監される。
 大学を中退してから6年、北部においてようやく手腕を認められてきたジョイが初めて踏んだ異国の地はキューバだった。近々見込まれる地価高騰に先立ってハバナ近郊の土地を買い叩こうと画策したのが運の尽き。飛行機はプロペラだし、湿気は汗腺を詰まらせ腎臓を蝕んだ。挙句の果てに一枚噛んでいたいかがわしい連中の作戦がお粗末そのもの。100CUC(兌換ペソ)紙幣を偽造して州の半分近くを独り占めする気でいたのだからたまらない。
 JFKですら出来なかった偉業を成し遂げようと夢見た連中の手を、同じくロマンチストだった画家の卵が取ったのはある意味必然だった。ダドがエッチングしたホセ・マルティは素人に言わせれば精巧の一言に尽きる。印刷所さえしっかりしていれば、キューバは今頃為替インフレにより世界で唯一の裕福な社会主義国家となっていただろう。結局影の英雄達は芋蔓式に光の中へ引きずり出され強制送還の憂き目。ダドはその信念を賭けて沈黙を貫いたため車のトランクから発見されず、ジョイの悩みは国内に戻ってからも続く慢性的な下痢についてのみ。

 部屋の主を取り巻く空気が乾いているのは生来の気質か、それとも沈黙へのご褒美を期待しているせいか。今も興奮はしているが、怯えの色など欠片も見えない。少なくともジョイにはいつもよりも早口の言葉が押し付けられるばかりで、それとて逮捕直後よりも収まりつつある。
「ムショを出たらあいつらとはきっぱり手を切る。ジョン・マイアットみたいに自分の前科を売りにして稼いだりなんか絶対にしない」
「続けるのか、絵」
 ご丁寧にも糸鋸で真っ二つにされたパレットから目を上げ、ジョイは尻を乗せていた電話台の上で背を伸ばした。否定的なニュアンスもどこ吹く風で、ダドは頷く。
「俺はこれしかないんだよ」
 思わずジョイは、狭い合板が軋むほど後ろに下がってしまった。視線の主が重犯罪者などと、一体誰が信じるだろう。その円い瞳は、間違いなく画家のものだった。高校生の頃美術の教科書で見たピカソの写真にはめ込まれていたものと酷似している。昔彼は、眼光の鋭さを粒子の粗さと思い込んでいた。だが今、風雲児の瞳と眼の前の青年のまなこが同一のものだと、根拠もなしに確信することが出来る。荒い点描に紛れてしまうのも仕方がない話で、そこにあるのは突き刺すような厳しさではない。光源である、丸く同心円を描く光だった。ただひたむきに信じている。遥か遠い未来を。
 止まってしまった手に同調するよう、外を走る車の動きに合わせて歪に形を変えていた部屋中の光が角をなくし、柔らかく固定される。
 安易な同情すらできなくなり、ジョイは思わずその奥まった目を瞬かせた。
「入所中は友人が画材を送ってくれると。いい修行さ。ムンクだって閉鎖病棟の患者をモデルにしてたらしいし」
「確かにテーマとしては面白いだろうな」
「何でも経験が大事だからな。五感で触れたものは全て身になる」
 止めていた手を再び動かし始め、それに連れて足元に広がる紙は汚い床の木目を覆い隠していく。彼の周りだけ、黒炭で少しだけ汚された白色が敷き詰められ、一人だけ別の空間に佇んでいるかのようだった。
「お前もデヴィッド・レターマンを崇め奉るの止めろよ。あと肉食に戻れって、ヴィーガンなんてホモっぽい」
 これから10年近くムショへぶち込まれる男へ反撃を加えないだけの分別は持ち合わせている。ジョイはそれ以上相槌を打つことなく、黙って彼が全て破壊するのを――恐らくこの男の生涯において、唯一の信条に背く行為が完遂されるのを――待っていた。それが終わり次第、二人して街の東にある州立銀行西ティーゼルタウン支店へ向かう。そこから先、彼らが共有する認識の衝撃において非常に不均衡だった。今この時、ダドの姉名義となっている貸金庫に百ドル札の束が入っていることを知っているのはジョイのみ。それが報酬であり手切れ金であると理解できるのも。
 この部屋に詰まれた、それだけで一つの絵となりそうな作品の山全てを競売に掛けたとして、1万ドルの価値があるのだろうか。少しずつ崩れていく有象無象を見渡し、ざっと目算する。そういうポジティブな考え方をすれば、悪くない額だろう。納得できるかは別として。

 湧き上がってきた薄っぺらい哀れみなど、瞬き一つで振り払える。再び視界の中で固定されたダドは、年季の入った画材ケース上に飾ってあった塑像を取り上げた。彼の絵と一緒で、人間であるということは辛うじて把握できたが、まるで公共施設のシンボルマークのように簡略化され、五歳児がお遊戯の時間に作ったかのような代物である。
 掴まれただけで歪んだそれは、届かないはずの土と油の匂いをジョイの鼻腔へ一瞬だが届けた。
 手の中で身を縮める緑色の物体を投げては受け止め、ダドは軽く首を傾げた。縺れた焦げ茶色の髪が顔の一部を隠し、陰を作るものの、その奥にある表情はどこまでも澄んでいた。微笑みすら浮かべていたのだ。抑える事のできない無尽蔵の光で、処刑人に自らの位置を知らせながら。
「なあジョイ、俺は楽しみなんだよ。50歳になったとき、自分が一体どんな絵を描いてるんだろうってな。変わってるかもしれない。変わってないかもしれない。一つだけ間違いないのは、俺がその時、お前らを散々笑ってるってことだ」
 叩きつけられた粘土はべったりと床へ張り付き、追いかけるようにしてその上に足が振り下ろされる。


 今は何もなくなった足元から目を上げ、ジョイは封筒から便箋を引き出した。切るような風の動きにリードされ、折れ曲がった角が身を捩る。日が暮れるのはまだまだ先の話だったが、分厚くなった雲が陽を着実に遠ざけていた。体温で生ぬるく温まり始めたベンチから一分の隙も作ることも許せず、丸まった背中を伸ばすことも耐えられない。手袋を忘れたせいで指はすっかりかじかんでいた。失われつつある感覚でよく切れそうな紙の縁を辿るうちに、寒々しさは頂点に達する。先ほどまで頻繁に吹きかけていた息すら詰め、彼が社会で身につけた最低限の丁寧さを以って、便箋を開く。
 宛名の下へ続く空白は、差出人が今まで色を叩きつけてきたどのカンバスよりも真っ直ぐなように思えた。
 ジョイはしばらくの間、延々と広がる空間へ目を落とし続けた。何かが聞こえるものと期待していたのかもしれない。だが赤くなった耳の傍を通り過ぎるのは寒風の低い唸りだけで、それは時間を経るごとに益々強くなっていった。