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Twinkle Tremble Tinseltown 6

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diamond in late night



 昨晩日記帳を見返したところ、仕事以外の目的で生まれ故郷に近付くのが3年8ヶ月26日ぶりであることをジョイは知った。車で30分、いつでも帰る事ができる場所で暮らしていたのに、少なくとも45の誕生日を迎えてからは訪れていないことになる。恥じる必要など何もない。だが暗闇をひた走っていた車両が地上に顔を出し、窓越しに青い看板が見えてくると、灰色をした居心地の悪さが心の奥底で渦を巻き始める。遠目からでも分かる“ティーゼル(teasel)”の文字は、風雨に晒され排気ガスに巻かれはっきりとは読めない。2時過ぎ。あと3分で駅に到着する。開けた視界へ轟音が逃げ出したお陰で、イヤホンから聞こえるグレイス・ジョーンズの古い曲がくっきりとした輪郭で耳に届いた。結局アナウンスに掻き消される前に電源自体を落としてしまったが。本当は音楽に身を委ねたまま地上を歩きたいと思っている。だが彼の中の真面目さがそれを戒めた。気鬱を感じなければいけないことが苦痛だった。


 電話口のしっかりとした話しぶりから、それほど若くないだろうと思っていた。だが公園のベンチで待っていた青年は年齢不詳。声を頼りの推測は30過ぎ。予想は外れ、柔らかいブロンドと固い宝石のような青さを持つまなこは、青春の傲慢さと勝気さを見事に体現している。とりあえず類稀な美貌の持ち主であることは間違いない。近付いてきた足音を機敏に聞き取り、顔をあげる。立ち上がったときにはもう、冷たさと同居していた空虚は霧消していた。
「ジョイ? キャメロン・ジョイスさんですね」
「ああ」
「はじめまして、ルイス・ジェファーソンです。ダドの友人の」
 友人、と言ったとき目元に走った憂いは、見逃すことができないほど露骨なものだった。芸術家の常だ。ダドリーの性的嗜好は知人なら誰だって知っている。だが恐らく世間には最後まで隠そうとしていたのだろう。意志を受け継ぐ心意気に免じ、ジョイは何も言わずに差し出された手を握り返した。
「顔を見ればすぐ分かるって言われてたけれど、意外だった」
「何て聞かされた?」
「あ、いえ。僕の勝手なイメージだけど、デベロッパーって聞いたから」
 約束の時間にはまだ5分あるのに、だいぶ長い間待っていたらしい。通った鼻筋は少し赤くなっていた。
「もっと恐ろしい感じの人かと」
 笑えばギリシャ的な容貌が俗物的で下品に変化する。それでも美しいという記号に適合しているのだから大したものだ。いきなり呼び出す乱暴さも許してしまいそうになるほどには。
「こんなところで話すのも何だ。どこか落ち着いて話せる所に」
「今から仕事があるから」
 踵を返そうとするのを押し留め、高そうなピーコートのポケットに手を入れる。
「これを渡すだけなんです。確実に届けろって彼は言ってました」
 引っ張り出されたのはありふれた白い封筒だった。強くはないが針のような鋭さを持つ北風に吹かれ、握り締められていない部分が固くはためく。それが見える位置にある間、ルイスは手の中にあるものから一度たりとも視線を離そうとしなかった。荒い紙に指を滑らせ、唇を強く噛み締める。
「本当は僕、貴方にこれを渡したくありません」
 予想はしていたが、結局ジョイは受け取ろうとした手を僅かに引っ込めていた。悲しみにくれる未亡人の感情は慮るべきだ。自分の利害関係に首を突っ込んでこないものならば。
「ダドは最後まで才能を認められませんでした。公募とかでは結構いい線までいってたのに……やっぱり逮捕歴が響いたんでしょうね」
「残念だよ、才能のある男だったのに。それに、若すぎる」
 持ち上げられた顔一杯に浮かぶ憎悪を静かに往なし、首を振る。
「50を越えてなかったとか? 免疫関係の病気だって噂を聞いたが」
「直接的には髄膜炎です。結核性の……最初は肺にあった菌が感染して。それにしたってこのご時勢に結核だなんて」
 同情を拒絶することで、声は強さを保っていた。微かにいくらかその表情は厳しい。だが青年は涙一つ零さなかった。持ち上げられた顔はアテネの神殿に聳え立つアポロンのようだ、と言えば、きっと今は亡き男も喜ぶに違いない。大理石の彫像と唯一違うのはその瞳。絶妙に配置されたパーツ中、薄暗い部屋で燃えるブランデーのようにさざめき揺らめき、輝いている。
「僕には分かりません。よりによって貴方に……」
 ようやく差し出した紙を掴む指は、本来の色白を差し引いても血の気を失っている。
「本当は知らせたくなかった。けれど亡くなる三週間前、熱も下がらないのに、頭痛で吐きそうになりながらこれを書いていた彼の姿を僕は見ています」
 ところどころ言葉が詰まるのは、枯らしのせいではない。それどころか彼の赤い唇は、今にも皮膚を突き破って曇り空の果てまで吹き上がりそうだった。
「彼と貴方の間でどんなことがあったか、詳しいことは知りませんが」
「仕事上の付き合いだ。だからこそ、君が憤るのも当然だと思う」
 ジョイはまだ内心、青年の手から封筒を取り上げることに躊躇していた。同時にそれが自らの情の薄さ、そして弱さであることも承知している。
「もう随分長い間、彼とは会ってない」
「そうですね。僕も話を聞いたのは、手紙を託されたときが初めてですから」
 本当なら今この時も、千々に乱れた感情を繋ぎ合わせることなど出来ていないのだろう。だが結局、力の篭った手は逡巡ごと封筒を押し出した。
「読んだのかい、内容を」
「いいえ」
 きっぱりと否定する口調は再び仮面を被っている。
「それが礼儀ですから」
 手にした封筒は今まで散々に揉まれていたはずなのに、青年の口調と同じく無機質で固く、ひんやりとしていた。



 来るまでは散々こね回した逡巡も木枯らしに吹き散らされたのか、青年と会った途端幻のように消えてしまった。喋っている時も、彼が去っていったときもそれが掃き集められることはない。心は頑ななままだった、丸裸になった木々の狭間に隠れる冬のように。
 腰掛けたベンチは寂れた公園のど真ん中。会見があっけなく終わったことで気鬱が晴れてもいいはずなのに、こればかりは北風もなぎ払ってはくれないようだった。低い軌道を描く太陽が見る見るうちに傾斜を強める。鈍色の雲が両手を広げるように澄んだ空を覆う。指で切った封が風に攫われる。が、すぐさま揚力を失い、左右に振れながら舞い降りていく。


 白い紙片を踏みにじる爪先の動きは煙草の火を消す動作に似ている。足元に散らばったスケッチブックの残骸全てを泥の跡で汚し、ダドは笑顔を浮かべた。
「売り払って金にするような真似はさせないからな」
 童顔にしては低い声でそんな事を堂々と言ってのけるものだから、やっぱりイメージは第一印象と変わらぬまま。人間これほどまで傲慢になれるものかとジョイはあきれ返った。美術大学を卒業した時点でパトロンの一人もついていないくせに、この男は自らの才能を信じきっているのだ。
「30年のところを8年ってんだから、あの弁護士もやり手だよな。大人しくしてりゃその半分くらいで仮出所って話だし」