cosmos
第二夜
その日は、まるでバケツをひっくり返したような大雨だった。
朝の天気予報では、この雨が止めば次第に暖かくなり、春も目前だと言っていた。
しかし、雨が降ると予想されていたのは明日のはずで、今日は曇りだと言っていたし、降水確率もそう高い値ではなかったはずだ。
それなのに、
(この大雨か……)
窓の外を眺めながら、俺は何度目かもわからない溜息をつく。
ちなみに場所は教室の窓側一番後ろ。
ここは入学当時から俺が占領している席で、必ず俺はこの席に座るようになっている。
入学してからこのかた、この席に―――否、俺の傍に寄ってくる人間は一人もいない。
何故かというと、他人いわく俺は「宇宙人」なのだそうだ。
なにも奇行に走ったわけでも理解不明な言語を使って話したわけでも、ましてや宇宙と交信しあってるわけでもない。
ただ、問題があるとすれば俺の目の色だろうか。
生まれつき、なぜか紫色だった俺の瞳は、傍から見れば薄気味の悪いものだったのかもしれない。確かに、紫の瞳なんてめったにあるものではないだろうが、まったくないというわけでもないだろうに…かの有名なエリザベス・テイラーも、バイオレットの瞳だったはずだ。
もしかしたら生まれてくる国を間違えてしまったのかもしれない。
碧眼が珍しくないアメリカにでも生まれていれば、多少メラニン色素が少なかっただけ、という理由で済ませれるのに。
残念ながら、俺の先祖に外国人はいないし、母も父も純粋な日本人。
その母と父は、俺のこの瞳のせいで離婚し、俺を置いて家を出て行った。
ここまで俺を育ててくれたのはインスタントのカップメン。
幸にも、お金の支援だけはしてくれた両親には感謝している。二人とも大手企業の働き手だったから、そのぐらいなんともなかったのだろう。
とりあえず大学を卒業するまでは支援してくれる約束だ。
条件は二度と二人の前に顔を出さないこと。
それさえ守ればそこそこの一軒家と大学卒業までの生活を保証してもらえる。
なんて簡単で、これ以上ない好条件!
俺は内心拍手喝采しながら、無表情に頷いたものだった。
そもそも、それぞれ既に別の家庭を持った二人に、会いに行く理由も無いし、会いたいとも思わない。
あぁそうだ、この無表情なのも拍車をかけているのだろう。
かといってずっと笑っているのも怪しい気がするし、そもそも表情を変える場面が無いのだから、無表情にもなるだろう。
……話が大きく逸れてしまったが、言ってしまえば、避けられているのだ。
クラスだけではない。この学校にいる全員からと言ってもいいかもしれない。
好奇心からかたまに絡んでくるやつはいるが、所詮好奇心だ。つまり、好意からではない。
まぁ、教科書隠されたり上履きが泥だらけになっていたりジャージがばらばらになっていたり上級生に生意気だといちゃもんつけられたり、なんて漫画みたいなことはまったくないので、俺はこのままでもいいかなと思っている。平和だし。
それに、俺自身、あまり人は好きじゃない。同じ人間のくせして、何を言っているのかとも思うけど。
(―――……いっそ、本当に宇宙人だったらよかったのになぁ)
そこで、ここ数カ月家にすっかり居ついてしまった宇宙人のことを思い出した。
その宇宙人の彼は、俺のこの目を好きだと言った。綺麗だとも。
故郷を思い出すから、と。
流石宇宙人、やはり故郷のスケールが違うな、と頭の隅で考えたものだったが、そこでふとあることに気がついた。
そういえば、いるじゃないか、宇宙人。
しかも、ここ数カ月毎日顔を合わせているではないか。
あれ、これすごいことというか、おかしいのではないのだろうか?
むしろなぜ今まで疑問に思わなかったのか。
もしかしたら俺は馬鹿だったんだろうか。いや成績はそこそこのはずだけれど。
ただ、あまりにも自然にそこに居るものだから、すっかり忘れていた。
彼が、宇宙人だということも、良く考えればもう少し驚くべきだとか、慌てるべきだとか。
確かに無害だし留守番はしてくれるし家事もそこそこ手伝ってくれるしいい話相手だしなかなかに良い奴だが……
(……あれ、なにも問題ないじゃん…)
本当に問題が無さ過ぎて、結局は「まぁいいか」で済まされる。
考え事に丁度終止符が着いた時、狙ったように担任の教師が教室の扉を開けて入ってくる。
「最後のSHRを始めるぞー。お前ら席つけー」
言われる前に席に着き始めていたクラスメイト達は、椅子を鳴らしながら各々の席に戻っていく。
今日は終了式で、明日から短い春休みが始まろうとしていた。
部活にも入っていないし、赤点を取った記憶も無いから、特にすることもない。
だらだらと家で過ごしながら課題に追われる、そんな自分の姿が容易に想像できた。
自分的にはつまらなさそうに、他人から見ればまったくの無表情に、教師の話を右から左に聞きながしながら、ふと再度窓の外に目を落とし、そこそこ広いグラウンドから校門に目を移した時だ。
校門の前に人影が見えた気がして、疑問に思い、目を凝らす。
気のせいか、よく見知ったライトグリーンが見えた気がして、いやいやないな。と首を振るが、そっと校舎を盗み見るように校門の陰から現われた人物に、驚きすぎて声も出なかった―――まぁ傍から見れば、いつも半開きで眠たそうにしている瞼が少し開いた程度なのだが……―――。
きょろきょろと珍しがるように…実際珍しいのだろう、学校の校舎を見ている馬鹿はこの土砂降りの中何をしにきたのか。
まったく見当がつかず、頭の中で唸っていると、SHRの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
挨拶を済ませると、再度窓の外、正確には校門に目を向ける。
しかし、そこに見知った姿は無くなっていた。
悪寒に背筋を振るわせながら、玄関へと向かう足は普段通りのスピードだ。
どうせ慌てても、わざとゆっくりにしても、結果はあまり変わらないのだから。
教室のすぐ横にある階段を3階分下りればすぐに玄関だ。その玄関は、案の定普段はない戸惑いと疑問のざわめきで満ちてた。
あたりまえだ。いくら服装は地味でも、ライトグリーンの髪とライトイエローの瞳をしている不審者が玄関に佇んでいれば、そうもなるだろう。
なにより、彼は顔だけを見ればそこそこ良い顔をしているから、なおさら。
身長も180の俺の身長を超すぐらいはあるし、髪の色と眼の色さえ普通ならば女子がほっとかないだろう。
残念ながら、その髪色と眼色のせいで気味悪がられているようだが。
そんな人物が玄関の真正面につったっているものだから、なかなか近付けずにいる生徒たちの軍団で玄関は混乱状態だ。
そろそろ誰かが教師を呼びかねない。それはまずい。
「どいてくれる」
抑揚のない声で言えば、目の前にいた女子が小さく悲鳴を上げて道を譲る。
流石に悲鳴を上げられるとは思ってもいなかったが、おかげでその場はだんだんと静まっていき、俺が進むごとに道が開いてゆく。
俺が馬鹿の元にたどり着くまでそう時間はかからなかったはずだが、その間に玄関は一気に静まり返ってしまっていた。