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其は匂ひの紫

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 少年の眉間に皺が入り、表情は最初に利市に向けられたものに戻った。
「そうやけど、おじさん、お父さんの知り合い?」
 利市が肯くと、少年は横をすり抜け、店の奥へと入ってしまった。
 乃木冬川の息子である文人の消息を知りたくて、利市はここまで足を運んだ。持ち込まれた振袖は新しく、最近、作られたものに見えたからだ。あの色が出せる人間がいるとしたら、血を分けた文人の可能性が高い。三枚の着物の出処を辿れば、彼に行き着くのではないかと考えた。
 乃木文人は利市と入れ替わるようにして冬川の工房を出て行った。二十年近くも前の話だ。山科の辺りで工房を開いたと聞いたことがあり問い合わせてみると、十年前にそこを畳んでいた。嵐山に移り住んだことまではわかったが、それ以後の行方は知れないままだった。そう簡単には彼に行き着かないだろうと利市は思っていたのだが、まさかこんなに早く消息を知ることが出来ようとは。
「昼寝する時は、店、閉めとけて言うてるのに」
「ごめんごめん、つい転寝してしもたんや」
 奥からさっきの子供の声と大人の男の声が近づいてくる。乃木文人とはほとんど初対面の利市は、緊張を覚えた。
 店と住居を仕切る長い暖簾が揺れ、男が顔を見せた。年の頃は利市とさほど変わらない。行っても四十手前、ひょろりとした優男で、肩近くまで伸びた髪は寝癖がついてボサボサしていた。写真で見たことがある文人とは、面立ちも違えば年齢も印象も違う。
「えっと、どちらさん? フミさんのお知り合いらしいけど?」
 さすがに人前に出るのにあまりな形(なり)だと思ったらしく、彼は髪を手櫛で後ろに撫で付けて、とりあえずの体裁を整えた。文人とは別人だとわかり、利市は少々拍子抜けした。
「川村と言います。乃木工房から参りました。乃木文人さんはご在宅ですか?」
「乃木工房? ああ、フミさんの親父さんとこの。フミさんなら、もうここにはおらへんよ」
「もういない? したら、今はどちらに居はるんですか?」
 男は天井を指差した。「え?」と利市が問い返すと、
「天国」
と答える。
「地獄やろ?」
 先ほどの少年が子供らしからぬ口調でそれを訂正すると、男は苦笑で返した。


(二)
作品名:其は匂ひの紫 作家名:紙森けい