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其は匂ひの紫

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「この色を冬川紫やと言うんは勝手やけど、そないに思うんはあの色を知ってる人間だけや。知らんやつなら、ただの紫か紺色にしか見えへん。知ってるもんだけが、あの色にこだわる。特別なもんやと、どんどん錯覚するから、どんなに染めても納得出来へん。だから取り憑かれたように深みにはまる」
 憧れ焦がれて求め続けた人間は、誰一人として出せなかった紫色。しかし多喜にとってはそうではなかった。最初の三枚の原動力は、文人を失い、その原因となったものに対する怒りであり、この一枚は、見たいと願う利市の情熱に絆されての末だった。
「目、瞑れ」
 多喜は向き直り、利市の視界を手で塞いだ。
「冬川紫は乃木冬川だけの色や。フミさんにはフミさんの色があったはずやのに、見向きもせんと亡うなってしもた。おまえにも、おまえにしか出せん色がある。いつまでもこないな紛いもんの『紫』を追わんと、川村利市らしいもん、探せよ。乃木冬川かて、自分のコピーは要らんと思てるはずや。目の前にあるこの振袖の色を、俺の色やと思て見てみ。染めの作業を思い出して。きっと色味が変わる」
 多喜の色。利市は目を瞑りながら、塩崎染工での日々を思い出した。一心に生地に向かう多喜の姿を。花の絵柄は彼が選んだ。師が描いたことのない白木蓮の花だ。地色の色合わせをする際の多喜の表情。引き染めの一番色は白で、これもまた冬川とは違う。
 地色を蒸しにかけている間、利市の肩にかかった多喜の重みが蘇る。この色を染めたのは多喜なのだと、無言で訴える。
 利市は目を開けた。それを合図に、多喜の手が外れる。開けた視界に振袖が入ってきた。
 印象が変わる。似て非なる紫に。
「変わった?」
「変わった」
「そうか」
 利市の隣に多喜が立ち、並んで大振袖を見る。微かに腕が触れ合って、袖越しに体温を感じた。その温もりはじんわりと広がる。
 一年前、利市は迷いの中にあった。師の七回忌を迎え、数年後に没後十年の大々的な作品展を催す話が持ち上がり、周囲は利市に『冬』の字を名乗るようにと無言で促す。また冬川紫を期待した。紫を染められない自分に、紫が代名詞の冬川の一字を名乗れる資格はあるのか…。そんな折に現れたのが、あの振袖だった。
 オークションに出た冬川紫風の着物三枚から、『文箱』に辿り着いた。そこで乃木文人の消息を知り、『紫』を染めたのが鳴沢多喜だと知る。
作品名:其は匂ひの紫 作家名:紙森けい