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其は匂ひの紫

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 文人の状態は悪くなるばかりで、泥酔して昏倒し病院に入院することもしばしばであった。薬に頼らないと不眠を訴えるようになり、指示以上に服用するので、その隠し場所に多喜は苦慮した。そんな状態だから、とうてい仕事が出来るはずもなく、文人は友禅から離れて行く。反対に、文人に師事しているとは言え、それほど熱心でなかった多喜が友禅に目覚めていった。着物を染める仕事はなかなか得られなかったが、和風小物を作るようになり、塩崎の伝で雑貨店への卸も細々ながら始めた矢先、文人が亡くなった。薬の誤飲だった。手には手描き友禅の振袖の写真が握られていて、彼の父の作品、色は冬川紫だった。
「あの『紫』は魔性の色なんかも知れへんなぁ。冬川先生のほんまもんを見たことありますけど、そらすごい迫力やった。吸い込まれる言うんか。見たもんを虜にする力がある。わしなんか蒸しと水元やからそこまで執着せんけど、手描き友禅やってるもんやったら、一度は染めてみたいと思う色やろかと。川村さんもそうなん違いますか? そやから多喜ちゃんが染めた着物を辿って、ここまで来やったんやろうし」
「多喜さんは?」
「多喜ちゃん? どないなんかなぁ。初七日済ましたその日に、突然、来やって、長いこと文人先生の工房に篭ってたわ。遺品の整理かなんかしよるんか思たら、冬川紫を染めるから協力してくれ言うて。そっからの多喜ちゃんは、そら凄まじかった。とても憧れて挑戦するようには見えんかったし」


『友禅、嫌いなんや』


 最初に会った日の多喜の言葉だ。そして引き染めの日、まだ何も入っていない桶を黙って見つめていた彼の表情が忘れられない。
「あの『紫』のために親しい人を失いたくないんやと思う。わしはもう多喜ちゃんに、あないな辛い思いはさせとうない。ちゃんと仕事して、冬川先生に負けんくらいの名匠になったってください」
 塩崎は頭頂部がすっかり禿げた頭を下げた。利市は何も返せなかった。
 話は終わり、塩崎はタクシー会社に電話をした。タクシーが来るまでの間、多喜に会って帰りたいと利市は思ったが、車はすぐに来てしまい、それは叶わなかった。


(八)

 多喜から連絡が来たのは、三ヶ月以上経った四月の初旬のことだった。振袖の仕立てに時間がかかったらしい。こればかりは多喜には出来ないため、外注に出していたからだ。
作品名:其は匂ひの紫 作家名:紙森けい