其は匂ひの紫
塩崎は浅く息を吐く。言ってしまったからには、話すしかないと思っているようだった。それでも多喜が語らないことを話すのには抵抗があるのか、しばらく間が開く。
「最期はまあ、どっちかわからん状態でなぁ」
山科の工房をたたんで嵐山に越してきた時には、すでに文人は精神的に不安定な状態だったと言う。何日も何日も塩崎のところのプレハブ工房に篭り、同じ色を染め続けた。どれも紫ばかり。作品としては決して悪いものではなく、製品にすればそこそこの値段がつくだろうに、蒸し器から出して色を確認すると、問答無用で鋏で切り裂いた。
まったく工房に来なくなる時期があって、そう言う時は酒びたりの日々。悪い酒で、酔っては他の客に絡んで暴れ、出入り禁止の店がどんどん増えて行った。とうとう家で飲むしかなくなり、今度は嗜める多喜に暴力をふるうようになった。一度、多喜の防御で文人が脳震盪を起こしたことがあり、以来、多喜は極力抵抗しなくなった。散々に殴り、蹴りして、酔いが醒めて我に返ると、文人は多喜に泣いて許しを乞うた。
それの繰り返し。文人の過去の実績を知る問屋から、時折仕事も来ていたが、全うしたことがなかった。途中で投げ出して、また『紫』に戻って行く。当然、生活は苦しく、多喜が『ふぁにー・ふぇいす』に勤め始めたのは、この頃からだと塩崎は語った。
「文人先生と冬川先生とでは、性質もセンスも違う。冬川先生は文人先生に自分の跡を継がせるんやなく、そのええところを精進して、文人先生なりの友禅を作り上げて欲しかったと思うんやけど、文人先生はどうしても、あの冬川紫をあきらめきれんかったみたいで。先生の元気な頃の作を見させてもろたことあるけど、やさしい色使いで、ええ作品でしたよ」
絢人は五才の時に二人のもとにやって来たのだが、文人の本当の子供かどうかはわからないとのことだった。絢人を連れてきた女性はどこかのスナックの店員で、関係を持ったのは事実のようだが、いつ頃か文人ははっきり覚えていなかった。嵐山に来てからの間柄だとすると年齢が合わない。女性は半ば押し付けるようにして、絢人を置いて行った。以来、どこで何をしているのかは知れないのだと言う。勿論、多喜は絢人の出生について話すはずもなく、あくまで自分の推察だと塩崎は言いおいた。とにかく絢人は文人の実子として、今も育てられている。