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其は匂ひの紫

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 青黒かった生地が、変化している。夜になる直前の空の色、群青とも紫とも言えない複雑な『紫』。求めて已まなかった乃木冬川の色だ。乾燥させ、改めて水洗いにかけるのだが、そうなると一層、鮮やかに発色するだろう。それを思うと、利市は興奮を抑えられなかった。
 感動で声が出ない。まだ完成とは言えない代物でも、息が詰まるほどに美しい。
「すごい…」
 言葉が零れる。色むらを確認する多喜は、利市とは正反対に淡々としていた。
「こっからは仕上げだけや。色に関する技術的なことは何もないし、振袖が仕立てあがったら連絡するから、おまえはもう帰れ」
 蒸し上がった生地をハンガーに吊るしながら、多喜が未だに呆けている利市に言った。その物言いはなぜか冷めている。利市が最後まで付き合うと言っても聞く耳を持たない様子で、
「いつまで仕事休んだら、気、すむんや。友禅師やろ? 友禅師が染めんでどうする」
と続けた。「でも」と出かけた言葉を利市は飲み込む。振り返った多喜が、人差し指で利市の唇を押さえたからだ。
「俺はおまえの言うことを聞いた。今度はおまえが聞く番や。もし辛抱出来んで、うちに来たら、この振袖は燃すから」
「な…っ」
「おやっさん、タクシー呼んだって。俺、少し休ましてもらうし」
 頭の手ぬぐいを外して、多喜は蒸しの作業場から出て行った。
 利市はその後姿を呆然と見送る。取り付く島もなかった。
「タクシーは呼ぶけど、まだ日も高いし、お茶でもどうです?」
 塩崎が声をかけるまで、利市は多喜が出て行ったドアから目が離せなかった。


(七)

「多分ねぇ、多喜ちゃん、心配なんと違うかなぁ。川村さんと文人先生と、どことのう似てますさかい」
「文人さんと?」
 塩崎はコーヒーを淹れてくれた。さっきまでうたた寝していたのを見ていたからだろう。勧められた砂糖を断り、利市はカップに口をつける。いつもより苦く感じた。
「蒸し上がった生地見た時のあんたの目、文人先生と同しやった。あの『紫』に取り憑かれてる。そう感じたんと違うかな。いつか川村さんもあの色に焦がれて焦がれて、先生みたいになってしまうんやないかって」
「先生みたいって、文人さん、何かあったんですか?」
作品名:其は匂ひの紫 作家名:紙森けい