其は匂ひの紫
利市は鼓動が早くなるのを感じた。時間をかけて、それでいて決して溜まりで色斑が出来ないように、多喜は色を重ねて行く。色が濃くなるにつれ、利市の鼓動は更に早くなった。予感がする、あの色が、確かに現れる予感が。
引き染めを終えた生地は、しかしまだあの『紫』ではなかった。濃い群青、青黛色とでも言うのか、とにかく青黒く、満月から遠い北の空の色に似ている。
「時間は?」
蒸しにかける時間を塩崎が多喜に尋ねた。多喜は染め上げた生地を手に取り、「一時間」と答える。通常よりも長めだ。
一時間は長く、利市は多喜と並んで蒸し器を見つめていた。今度、出てくる時には、色はどのように変化しているのだろうか。あの『紫』を目にすることが出来るだろうか?
隣に立つ多喜は、心なしか疲れて見えた。無理もない。一日中、工房に詰めっきりなのだから。彼の集中力は並ではなかった。切りがいいところまでは、どれだけでも生地に向かっている。飲み食いもせず、時にはすぐに立ち上がれないくらい根を詰めた。
ぐらりと多喜の身体が、利市とは反対の方に傾いだ。慌てて腕を掴んで引き寄せる。
「ああ、すまん。居眠りこいたわ」
「座ろか? 椅子、借りて来るから」
「いらん。地べたに座る」
多喜はその場に座った。利市も隣に座る。それから多喜の頭に手をかけて、自分の肩に押し付けた。
「何やねん?」
「まだ時間かかるやろ? 少し寝ろよ。枕かわりに肩、貸してやる」
「ふうん、気、きくようになったんやな?」
「ええから」
「ほな、遠慮のう」
そう言うと多喜は目を閉じた。すぐに肩にかかる重みが増し、彼が眠りに落ちたのがわかった。その重みは温かい。利市は多喜の頭にかけた手を肩に回した。
利市は肩を揺すられて目を開けた。隣に座っていたはずの多喜の顔が向かいにある。利市もあのまま眠ってしまったようだ。そして多喜が起きたことにまったく気がつかなかった。
「上がったぞ」
多喜は利市の肩を二、三度軽くたたいて立ち上がった。利市は慌てて後に続く。眠気は吹き飛んだ。
塩崎が蒸し器をあけ、中から生地を取り出した。
「あ」