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其は匂ひの紫

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 多喜が冗談めかして突っ込んだ。利市は過剰に反応し、頬の熱は色となって表面化した。それをまた絢人が指摘し、普段は張り詰めた空気のその部屋に笑いが満ちる。
 利市に見せる多喜の表情は、始めの頃に比べるとずいぶんと変わった。友禅の製作で静かな緊張を帯びる横顔と、絢人に見せるくったくない笑み、時折ぼんやりと空に目をやったかと思うと、息抜き代わりに利市をからかう茶目っ気を見せた。冷めた印象は生地に向かう日々で、生きたものに変わる。彼もまた職人なのだと、利市は思った。
 引き染めの色はいつものプレハブではなく、北側に建つ別のプレハブ小屋で合わせられた。色を合わせるのは難しい。光の加減に因って見える色が違ってくるからだ。蛍光灯などの人工の光ではなく、窓から入る自然光――それも北側からの直射でない柔らかな光が望ましい。塩崎染工を借りていた文人はそれをよく心得ていて、北側の遮るもののない場所に、色合わせのための空間を確保した。冬川紫を得るために。
 多喜はしばらく何も入っていない桶を見つめた。手にした最初の柄杓はなかなか動かない。白んで見える頬に表情はなく、堅く結んだ唇に何かしらの感情が垣間見える。
 どれくらいの時間が経ったのか、水で溶いた染料をそれぞれの柄杓で掬い、多喜は色を合わせ始めた。少しずつ、少しずつ。一杯掬っては確認する。
 出来上がった色は四色。系統としては白に桃、藍、紫と言ったところか。時間をかけて合わせた色は、見た目、単純な色合いに見えた。多喜が色を合わす間中、利市は紙と脳裏に細かく書きとめた。
「真面目なことやな?」
 合わせ終えた多喜がメモを覗き込む。
「悪いか」
「悪うないよ。フミさんに似てるな、そんなとこも」
 引き染めは生地を張った状態で行う。塩崎染工の母屋から水洗い作業場へ向かう長い渡り廊下が、引き染めの作業に使われた。
 薄い色目から順に染めて行く。弛みなくピンと張られた白い生地に、多喜は刷毛に含ませた染料を躊躇いなく塗りつけた。右から左に力を均等に入れながら、まずは白系の染料を。それから淡い石竹(桜草の色)の色を重ねた。白は真珠の光沢を石竹の内側で発色させた。桶の中の単純な色目は、段々と複雑な顔を生地の上で見せる。
作品名:其は匂ひの紫 作家名:紙森けい