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其は匂ひの紫

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 多喜が振袖を作ることを承諾してから、利市は新しい仕事を抑えていた。その上に休暇願いでは、宮前事務長も簡単には承服しかねるだろう。利市の有名はすでに乃木工房の看板となりつつあった。才能もさることながら若さと見映えも手伝って、メディアからの問い合わせも少なくない。よほど説得力のある理由でなければ、「うん」と言わないのは当然だった。
 しかし利市は沈黙を守った。多喜が今回の仕事を受ける時に、冬川紫の名は出すなと条件を出していたからだ。「俺が染めるんは、ただの紫やから」と言って。
 なだめてもすかしても理由を言わない利市に宮前事務長が折れて、とりあえずひと月、休むことは許可された。兄弟子の中には、冬川の後継者だと言う驕りを口にする者もいたが、利市は反論することもなくそれを甘受した。
 挿し友禅の蒸しの作業が終わり、引き染めで地色を染める際に挿した絵柄が染まってしまわないよう、その部分に糊を置いて被せ準備する伏せ糊の段階に進んだ。この頃、冬休みに入った絢人が塩崎染工に来るようになった。塾と剣道の稽古と、友達と遊ぶ約束をしている時以外は、基本的に一日、塩崎染工にいた。
「やっぱしタキちゃんは、友禅作ってる時が最高、かっこええ」
 多喜の休憩を見計らって、絢人が作業場にしている離れのプレハブに顔を見せる。
「おおきに。アヤの顔見ると、疲れが吹っ飛ぶわ。一日、こない狭いとこに缶詰にされてると潤いがないしな。早よ仕上げて、もとの生活に戻らんと干からびる」
「でも楽しそうやで?」
 他意はない絢人の素直な言葉に、多喜は「そないに見えるか?」と苦笑して聞き返した。
「うん。そんなタキちゃん、ずっと見てたいくらいや。川村さんもそうなん?」
 急に話を振られて、利市は面食らう。
「したかて、仕事休んで、ずっとここに来てるんやろ?」
「これも仕事なんや。多喜さんが友禅作ってるとこ見せてもろて、勉強してるんやから」
「でもタキちゃんばっかし見よるよ?」
 これもまた他意はないのだろうが、言われた利市はびっくりした。多喜の手元を見ているつもりだった。途端に頬が熱くなるのを感じた。
「もしかして、このかっこ良さに惚れた?」
「な、何言うてる!」
作品名:其は匂ひの紫 作家名:紙森けい