其は匂ひの紫
図案を決め、描き、染めて、仕立てる――一枚の友禅染めの着物を仕上げるのに、概ね二十以上の工程を要した。手描き友禅はそれら全てを手作業で行う伝統的な手法で、それぞれに専門の職人がいて、工程ごとに外注することが一般的なのだが、友禅作家本人が全工程を行うことも珍しくない。晩年こそ水元(完成した生地に残る不要物を洗い流す)を職人に任せた乃木冬川だが、それまでは全て自分の手で作業した。どの工程でも微妙な匙加減で出る色が変わる。それを自在に扱えてこそ手描き友禅師…との持論で、その考えは愛弟子である川村利市にも受け継がれていた。
そして鳴沢多喜もまた、全てを一人でこなす友禅師だ。初対面の時、乃木文人の友人だと利市に名乗ったが、もともとは文人に師事した弟子だったらしい。つまり冬川の孫弟子と言えよう。
多喜は引き染めの段階になったら連絡すると言ったが、利市は待ちきれなかった。あの『紫』が姿を表すのは地色を染めてからで、それまでの作業は利市が行うことと特別変わらない。しかし友禅師としての多喜を見てみたかった。利市が絵柄の希望をメールして以来ふた月が過ぎたが、多喜からは何の音沙汰もない。『文箱』に電話をしても昼間は留守で、夜はタイミングが悪く――入浴中であったり、絢人の塾の日だったり――、連絡がつかなかった。それでとうとう承諾を取らずに、利市は嵐山にある塩崎染工を訪ねた。
塩崎染工は蒸し(染料を生地に定着させ色止めする)と水元専門の染工である。山科の工房をたたんだ文人が、敷地の一角を作業場として借りていたところだった。彼の道具の一式が残されたままで、多喜はそこを使って今回の作業を行っている。
応対に出た社長の塩崎が、内線で多喜に利市の訪問を告げた。通してもよいとのことだったので、彼は利市を水洗い場の裏手にある多喜の作業場に案内してくれた。
「やっぱりあの『紫』、乃木さんとこの目に留まりやったんやなぁ。何にしても、多喜ちゃんがまた戻って良かった。見捨てんと良う面倒みて、さんざ苦労して。せっかく一人前になれたのに、辞めてしまうんはもったいない思てたんですわ」
途中、塩崎が言った。多喜はあの紫を、ここで染めたらしい。友禅に携わる者なら冬川紫を知らない者はいないに等しく、最初に仕上がった訪問着を見て、塩崎はかなり驚いたと利市に語った。